『イギリス市民革命』を相関図でわかりやすく解説

イギリス市民革命(1642-1689年)の主要人物の関係を示した相関図です。

清教徒革命(ピューリタン革命)から名誉革命に至るイギリスの激動の時代を描いています。ステュアート朝の国王たちが王権神授説に基づく絶対王政を推し進め、議会と激しく対立しました。1642年に内戦が勃発し、議会派のオリバー・クロムウェルがチャールズ1世を処刑して共和政を樹立。その後の王政復古を経て、1688年の名誉革命でウィリアム3世とメアリー2世が即位し、権利の章典によって立憲君主政が確立されました。王党派と議会派の対立、王位継承をめぐる血縁関係、宗教対立が複雑に絡み合った人物相関を視覚化しています。

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登場人物一覧

ジェームズ1世

ジェームズ1世

ステュアート朝初代イングランド王(在位1603-1625年)。スコットランド王ジェームズ6世としても統治。『自由なる君主国の真の法』(1598年)を著し王権神授説を唱えた。息子チャールズ1世にも同じ思想を伝え、後の議会との対立の種をまいた。

チャールズ1世

チャールズ1世

ステュアート朝イングランド王(在位1625-1649年)。父ジェームズ1世同様に王権神授説を信奉し、議会との対立を深めた。1628年の権利の請願を無視し、11年間無議会の絶対王政を行った。1642年に清教徒革命(イングランド内戦)が勃発し、議会派に敗北。1649年1月30日に「暴君・反逆者・殺人者」として処刑された。イギリス史上初めて処刑された国王。

ルパート王子

ルパート王子(プリンス・ルパート)

カンバーランド公(1619-1682年)。チャールズ1世の姉エリザベスの息子で、チャールズ1世の甥にあたる。1642年の内戦勃発時に叔父のもとに駆けつけ、国王軍の騎兵隊長を務めた。エッジヒルの戦いなど緒戦で活躍し、議会派から恐れられたが、1645年のネイズビーの戦いで敗北した。

ジョージ・マンク

ジョージ・マンク(初代アルベマール公)

初代アルベマール公爵(1608-1670年)。デヴォン出身の職業軍人。当初は王党派として戦ったが、1644年のナントウィッチの戦いで捕虜となり、釈放後は議会派に転じた。オリバー・クロムウェルの下でスコットランドやアイルランドで戦い、1655年からスコットランド駐留軍司令官を務めた。1658年のクロムウェル死後、後継者リチャード・クロムウェルの失脚や軍部の混乱を収拾するため、1660年にスコットランドからロンドンへ進軍。議会にチャールズ2世の招聘を勧告し、王政復古を実現した立役者。功績によりアルベマール公爵に叙された。

クロムウェル

オリバー・クロムウェル

イングランド共和国の護国卿(1653-1658年)。ピューリタンのジェントリ出身で、1628年に庶民院議員として政界入り。内戦では「鉄騎隊」と呼ばれる精鋭騎兵隊を組織し、ニューモデル軍の副司令官としてネイズビーの戦いで決定的勝利を収めた。チャールズ1世の処刑を主導し、共和政を樹立。1653年に護国卿に就任し、全国を軍管区に分けた軍事独裁を行った。1658年に病没。

フェアファクス

トマス・フェアファクス

第3代フェアファクス卿。清教徒革命における議会派の最も成功した将軍であり、1645年のニューモデル軍の総司令官に任命された。クロムウェルを副司令官に据え、ネイズビーの戦いで国王軍に決定的な勝利を収めた。第一次・第二次内戦を通じて議会派の軍事的勝利に貢献した。

ジョン・ピム

ジョン・ピム

庶民院の有力議員で、長期議会における議会派の指導者。国王チャールズ1世の専制を非難し、王妃やカンタベリー大主教ウィリアム・ロード、政権指導者ストラフォード伯爵の糾弾を行った。1641年に「議会の大諫奏」(大抗議文)を僅差で可決させ、チャールズ1世から逮捕を命じられた5人の議員の一人となった。

チャールズ2世

チャールズ2世

ステュアート朝イングランド王(在位1660-1685年)。チャールズ1世の息子。1660年の王政復古によって即位した。嫡子がなかったため、カトリック教徒の弟ジェームズの王位継承をめぐり議会内でトーリ党(容認派)とホイッグ党(反対派)の二党派が生まれた。

ジェームズ2世

ジェームズ2世

ステュアート朝イングランド王(在位1685-1688年)。チャールズ1世の次男で、チャールズ2世の弟。カトリック教徒であり、即位後プロテスタントの大臣を次々に罷免した。1688年に男子(ジェームズ・フランシス・エドワード)が生まれると、カトリック王朝の永続を恐れた議会がオランダからウィリアムとメアリーを招聘。名誉革命により王位を追われ、フランスに亡命した。

ウィリアム3世

ウィリアム3世(オラニエ公ウィレム)

オランダ総督にしてイングランド王(在位1689-1702年)。母がチャールズ1世の娘メアリであり、母方でステュアート朝につながる。妻はジェームズ2世の長女メアリー。1688年11月にオランダ軍を率いてイングランドに上陸し、無血でジェームズ2世を追放。1689年に議会の「権利の宣言」を受け入れてメアリー2世と共同統治を行い、権利の章典を公布して立憲君主政を確立した。

メアリー2世

メアリー2世

イングランド女王(在位1689-1694年)。ジェームズ2世の長女で、プロテスタントとして育てられた。1677年にオランダ総督オラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)と結婚。1688年の名誉革命後、夫ウィリアム3世と共同統治者として即位し、権利の章典を承認した。1694年に天然痘で崩御。

関係性一覧

  • ジェームズ1世父→息子チャールズ1世ジェームズ1世 は チャールズ1世 に対して「父→息子」の関係です。
  • チャールズ1世父→長男チャールズ2世チャールズ1世 は チャールズ2世 に対して「父→長男」の関係です。
  • チャールズ1世父→次男ジェームズ2世チャールズ1世 は ジェームズ2世 に対して「父→次男」の関係です。
  • チャールズ2世兄弟(兄→弟に王位継承)ジェームズ2世チャールズ2世 は ジェームズ2世 に対して「兄弟(兄→弟に王位継承)」の関係です。
  • ジェームズ2世父→長女メアリー2世ジェームズ2世 は メアリー2世 に対して「父→長女」の関係です。
  • ウィリアム3世夫婦・共同統治メアリー2世ウィリアム3世 は メアリー2世 に対して「夫婦・共同統治」の関係です。
  • チャールズ1世叔父→甥(騎兵隊長に任命)ルパート王子チャールズ1世 は ルパート王子 に対して「叔父→甥(騎兵隊長に任命)」の関係です。
  • チャールズ1世内戦で敵対(処刑を主導)クロムウェルチャールズ1世 は クロムウェル に対して「内戦で敵対(処刑を主導)」の関係です。
  • チャールズ1世議会で対立(逮捕を命令)ジョン・ピムチャールズ1世 は ジョン・ピム に対して「議会で対立(逮捕を命令)」の関係です。
  • フェアファクス総司令官→副司令官クロムウェルフェアファクス は クロムウェル に対して「総司令官→副司令官」の関係です。
  • ジョン・ピム議会派の同志クロムウェルジョン・ピム は クロムウェル に対して「議会派の同志」の関係です。
  • ルパート王子戦場で敵対(騎兵隊長同士)クロムウェルルパート王子 は クロムウェル に対して「戦場で敵対(騎兵隊長同士)」の関係です。
  • ルパート王子ネイズビーの戦いで敗北フェアファクスルパート王子 は フェアファクス に対して「ネイズビーの戦いで敗北」の関係です。
  • ジェームズ2世名誉革命で王位を奪われるウィリアム3世ジェームズ2世 は ウィリアム3世 に対して「名誉革命で王位を奪われる」の関係です。
  • クロムウェル共和政→王政復古で交替チャールズ2世クロムウェル は チャールズ2世 に対して「共和政→王政復古で交替」の関係です。
  • ジョン・ピム議会派の政治・軍事指導者フェアファクスジョン・ピム は フェアファクス に対して「議会派の政治・軍事指導者」の関係です。
  • チャールズ1世祖父→孫(母方)ウィリアム3世チャールズ1世 は ウィリアム3世 に対して「祖父→孫(母方)」の関係です。
  • ジョージ・マンク部下として仕えるクロムウェルジョージ・マンク は クロムウェル に対して「部下として仕える」の関係です。
  • ジョージ・マンク王政復古を実現チャールズ2世ジョージ・マンク は チャールズ2世 に対して「王政復古を実現」の関係です。

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