南北戦争(1861〜1865年)は、アメリカ合衆国(北部・ユニオン)とアメリカ連合国(南部・コンフェデラシー)の間で戦われた内戦です。奴隷制の拡大をめぐる対立が原因で勃発し、約62万人が犠牲となりました。
エイブラハム・リンカーン大統領の下、北軍はユリシーズ・グラント将軍やウィリアム・シャーマン将軍らの軍事的活躍により勝利を収めました。一方、南軍はジェファーソン・デイヴィス大統領とロバート・E・リー将軍が率いましたが、1865年4月にリーがアポマトックス・コートハウスでグラントに降伏し、戦争は終結しました。
この相関図では、北軍・南軍の主要指導者に加え、奴隷解放運動家のフレデリック・ダグラスやハリエット・タブマン、そしてリンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの人物関係を示しています。
登場人物一覧
エイブラハム・リンカーン
第16代アメリカ合衆国大統領(在任1861〜1865年)。南北戦争を通じて合衆国を指導し、奴隷解放宣言を発布した。最高司令官として戦略立案や将軍の人事に深く関与し、最終的にグラント将軍を北軍総司令官に任命して勝利を導いた。1865年4月14日、フォード劇場でジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。
ユリシーズ・S・グラント
北軍総司令官(1864年3月〜)。オハイオ州出身、ウェストポイント陸軍士官学校卒。フォート・ヘンリーやフォート・ドネルソンの勝利で「無条件降伏」グラントの異名を取り、ヴィックスバーグ攻略で西部戦線を制した。1864年に北軍全軍の指揮を任され、1865年4月9日にアポマトックス・コートハウスでリー将軍の降伏を受け入れ、戦争を終結させた。後に第18代大統領。
ウィリアム・T・シャーマン
北軍の将軍。グラントの後任として西部方面軍司令官に就任。1864年9月にアトランタを陥落させた後、「海への進軍」として知られる焦土作戦を敢行し、285マイルをジョージア州を横断して進軍。南部の継戦能力に壊滅的打撃を与えた。グラントとは「兄弟のような」深い信頼関係で結ばれていた。
ジョージ・B・マクレラン
ポトマック軍司令官(1861〜1862年)。「若きナポレオン」と呼ばれ、軍の組織化に優れた手腕を発揮したが、慎重すぎる戦術がリンカーンとの対立を招いた。1862年のアンティータムの戦いでリーの北部侵攻を阻止したが、追撃の遅れを理由に11月に解任された。1864年の大統領選で民主党候補としてリンカーンに挑んだが敗北した。
ジェファーソン・デイヴィス
アメリカ連合国(南部)の唯一の大統領(在任1861〜1865年)。ケンタッキー州出身、ウェストポイント卒。米墨戦争に従軍し、フランクリン・ピアース政権で陸軍長官を務めた。1861年にミシシッピ州の連邦離脱に伴い合衆国上院を辞任、南部連合の大統領に選出された。1862年にリーを北バージニア軍司令官に任命。戦後は反逆罪で起訴されたが裁判は行われなかった。
ロバート・E・リー
南軍の北バージニア軍司令官。バージニア州出身、ウェストポイント卒で合衆国陸軍に32年間勤務した後、1861年にバージニア州の離脱に従い南軍に参加。1862年6月に北バージニア軍の指揮を執り、数的劣勢にもかかわらず数多くの勝利を収めた。ストーンウォール・ジャクソンやジェームズ・ロングストリートら優秀な部下を擁した。1865年4月にアポマトックスでグラントに降伏し、戦争は事実上終結した。
ストーンウォール・ジャクソン
南軍の将軍。本名トーマス・ジョナサン・ジャクソン。1861年の第一次ブルランの戦いで「石壁のように立ちはだかる」と称えられ、「ストーンウォール」の異名を得た。リー将軍の最も信頼する部下として東部戦線のほぼ全ての主要な戦闘に参加。軍事史家から合衆国史上最も優れた戦術家の一人と評される。1863年5月、チャンセラーズヴィルの戦いで味方の誤射により負傷し、肺炎を併発して死去。リーは「私は右腕を失った」と嘆いた。
フレデリック・ダグラス
奴隷解放運動家・演説家・作家。メリーランド州で奴隷として生まれ、1838年に脱出。自伝『フレデリック・ダグラス、あるアメリカの奴隷の物語』がベストセラーとなり、奴隷制廃止運動の推進力となった。南北戦争中はリンカーン大統領の顧問を務め、黒人兵士の従軍を強く主張。1863年には「Men of Color To Arms!(武器を取れ、有色人よ!)」の檄文を発し、息子のルイスが所属したマサチューセッツ第54連隊の募兵に尽力した。チャールズは後にマサチューセッツ第5騎兵連隊に転属した。
ハリエット・タブマン
奴隷解放運動家・北軍のスパイ・看護師。メリーランド州で奴隷として生まれ、1849年に脱出。「地下鉄道」の車掌として約13回の救出任務で約70人の奴隷を自由へ導いた。南北戦争中はデイヴィッド・ハンター将軍の下でスパイ・斥候として活動し、1863年6月にはジェームズ・モンゴメリー大佐と共にコンバヒー川襲撃を遂行、750人以上の奴隷を解放した。ダグラスは「ジョン・ブラウンを除けば、彼女ほど奴隷のために危険を冒した者を知らない」と称えた。
ジョン・ウィルクス・ブース
俳優・南部連合の支持者。著名な俳優一家ブース家の一員で、南北戦争中は年収2万ドルを稼ぐ人気俳優だった。奴隷制廃止に激しく反対し、リンカーンを憎んだ。当初はリンカーン誘拐を計画したが失敗に終わり、暗殺に変更。1865年4月14日、ワシントンD.C.のフォード劇場で観劇中のリンカーンを銃撃し暗殺。逃走後の4月26日にバージニア州で射殺された。
関係性一覧
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- ジョージ・B・マクレラン →アンティータムで対決 →ロバート・E・リージョージ・B・マクレラン は ロバート・E・リー に対して「アンティータムで対決」の関係です。
- フレデリック・ダグラス →顧問・黒人兵参戦を進言 →エイブラハム・リンカーンフレデリック・ダグラス は エイブラハム・リンカーン に対して「顧問・黒人兵参戦を進言」の関係です。
- フレデリック・ダグラス →同志・互いを深く尊敬 →ハリエット・タブマンフレデリック・ダグラス は ハリエット・タブマン に対して「同志・互いを深く尊敬」の関係です。
- ジョン・ウィルクス・ブース →1865年4月14日に暗殺 →エイブラハム・リンカーンジョン・ウィルクス・ブース は エイブラハム・リンカーン に対して「1865年4月14日に暗殺」の関係です。
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