1853年〜1858年、ペリー来航から日米修好通商条約の締結に至るまでの主要人物の相関図です。黒船来航による衝撃、日米和親条約の締結、将軍継嗣問題、そして安政の大獄へと続く激動の幕末外交史を人物関係から読み解きます。
登場人物一覧
ペリー
マシュー・カルブレイス・ペリー(1794-1858)。アメリカ海軍東インド艦隊司令長官。1853年に軍艦4隻(黒船)を率いて浦賀に来航し、フィルモア大統領の国書を提出して開国を要求。翌1854年に再来航し、日米和親条約(神奈川条約)を締結させた。
ハリス
タウンゼント・ハリス(1804-1878)。日米和親条約に基づき初代駐日アメリカ総領事として下田に赴任。1857年に江戸城で将軍・徳川家定に謁見し国書を手渡した。老中堀田正睦と交渉し、英仏の脅威を説いて通商条約の締結を強く求め、1858年に日米修好通商条約の調印に至らしめた。
阿部正弘
阿部正弘(1819-1857)。備後福山藩第7代藩主。27歳で老中首座に就任し、ペリー来航時の幕府の対応を統括した。親藩・譜代・外様を問わず諸大名や旗本にまで広く意見を求める合議路線をとり、安政の改革を断行。講武所・長崎海軍伝習所・洋学所を創設した。堀田正睦を老中に推挙した後、1857年に39歳で急死。
堀田正睦
堀田正睦(1810-1864)。下総佐倉藩主。1855年に阿部正弘の推挙で老中に再任され、老中首座・外国掛老中を兼任。ハリスとの日米修好通商条約の交渉を担当し、条約内容を確定させた。条約調印の勅許を得るため上洛したが、攘夷派公卿の反対と孝明天皇の拒否により失敗し、手ぶらで江戸に戻った。
井伊直弼
井伊直弼(1815-1860)。近江彦根藩主。1858年4月に大老に就任。孝明天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印(違勅調印)。将軍継嗣問題では南紀派として徳川慶福(家茂)を擁立。反対派を弾圧する安政の大獄を断行し、1860年に桜田門外の変で水戸浪士らに暗殺された。
徳川家定
徳川家定(1824-1858)。江戸幕府第13代将軍。1853年、ペリー来航直後に父・家慶の死去を受け将軍職を継承。病弱で政務を老中らに一任していた。嗣子がなく将軍継嗣問題が発生。1857年にハリスと謁見。1858年に35歳で死去。正室は島津斉彬の養女・篤姫。
徳川斉昭
徳川斉昭(1800-1860)。水戸藩第9代藩主。水戸学の立場から強硬な攘夷論を主張し、ペリー来航時には海防参与として幕政に参画。実子・慶喜を次期将軍に擁立しようとする一橋派の中心人物。井伊直弼と激しく対立し、安政の大獄で永蟄居の処分を受けた。
島津斉彬
島津斉彬(1809-1858)。薩摩藩第11代藩主。開明派の名君として知られ、松平慶永・伊達宗城・山内豊信とともに幕末の四賢侯と称された。公武合体・武備開国を主張。養女・篤姫を将軍家定の正室に送り込み、一橋慶喜の将軍擁立を画策した。1858年に急死し、一橋派は大きな打撃を受けた。
徳川家茂
徳川家茂(1846-1866)。紀州徳川家第13代藩主。幼名は菊千代、のちに慶福(よしとみ)と名乗る。第13代将軍・徳川家定の従弟にあたり、将軍家に最も近い血筋であることから、大老・井伊直弼ら南紀派に擁立され、13歳で第14代将軍に就任した。公武合体策の一環として皇女・和宮と結婚。第2次長州征討の最中、大坂城にて21歳で病死した。
徳川慶喜
徳川慶喜(1837-1913)。徳川斉昭の七男。1847年に一橋徳川家を相続し「一橋慶喜」と呼ばれた。英明との評判が高く、将軍継嗣問題では島津斉彬・松平慶永らの一橋派に推されたが、井伊直弼により将軍擁立を阻止され、安政の大獄で隠居・謹慎の処分を受けた。のちに第15代将軍となり、大政奉還を行った。
関係性一覧
- ペリー →国書を提出・開国を要求 →阿部正弘ペリー は 阿部正弘 に対して「国書を提出・開国を要求」の関係です。
- ペリー →和親条約の下で後任の外交官 →ハリスペリー は ハリス に対して「和親条約の下で後任の外交官」の関係です。
- ハリス →通商条約の交渉 →堀田正睦ハリス は 堀田正睦 に対して「通商条約の交渉」の関係です。
- ハリス →謁見・国書を手渡し →徳川家定ハリス は 徳川家定 に対して「謁見・国書を手渡し」の関係です。
- ハリス →条約調印を要求 →井伊直弼ハリス は 井伊直弼 に対して「条約調印を要求」の関係です。
- 阿部正弘 →老中首座として補佐 →徳川家定阿部正弘 は 徳川家定 に対して「老中首座として補佐」の関係です。
- 阿部正弘 →老中首座を引き継ぎ →堀田正睦阿部正弘 は 堀田正睦 に対して「老中首座を引き継ぎ」の関係です。
- 阿部正弘 →海防参与に起用 →徳川斉昭阿部正弘 は 徳川斉昭 に対して「海防参与に起用」の関係です。
- 阿部正弘 →一橋家相続を仲介 →徳川慶喜阿部正弘 は 徳川慶喜 に対して「一橋家相続を仲介」の関係です。
- 堀田正睦 →老中首座として補佐 →徳川家定堀田正睦 は 徳川家定 に対して「老中首座として補佐」の関係です。
- 井伊直弼 →大老として実権を掌握 →徳川家定井伊直弼 は 徳川家定 に対して「大老として実権を掌握」の関係です。
- 井伊直弼 →安政の大獄で永蟄居に処す →徳川斉昭井伊直弼 は 徳川斉昭 に対して「安政の大獄で永蟄居に処す」の関係です。
- 徳川斉昭 →違勅調印を激しく非難 →井伊直弼徳川斉昭 は 井伊直弼 に対して「違勅調印を激しく非難」の関係です。
- 井伊直弼 →将軍擁立を阻止・謹慎処分 →徳川慶喜井伊直弼 は 徳川慶喜 に対して「将軍擁立を阻止・謹慎処分」の関係です。
- 徳川斉昭 →父子(七男) →徳川慶喜徳川斉昭 は 徳川慶喜 に対して「父子(七男)」の関係です。
- 島津斉彬 →将軍擁立を推進 →徳川慶喜島津斉彬 は 徳川慶喜 に対して「将軍擁立を推進」の関係です。
- 島津斉彬 →養女・篤姫を正室に送る →徳川家定島津斉彬 は 徳川家定 に対して「養女・篤姫を正室に送る」の関係です。
- 島津斉彬 →一橋派として協力 →徳川斉昭島津斉彬 は 徳川斉昭 に対して「一橋派として協力」の関係です。
- 島津斉彬 →幕政改革で連携 →阿部正弘島津斉彬 は 阿部正弘 に対して「幕政改革で連携」の関係です。
- 井伊直弼 →南紀派として擁立 →徳川家茂井伊直弼 は 徳川家茂 に対して「南紀派として擁立」の関係です。
- 徳川家茂 →将軍後継を争う →徳川慶喜徳川家茂 は 徳川慶喜 に対して「将軍後継を争う」の関係です。
- 徳川家定 →後継者として指名 →徳川家茂徳川家定 は 徳川家茂 に対して「後継者として指名」の関係です。
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