ナポレオン戦争(1803-1815年)の主要人物の関係を示した相関図です。
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトによるヨーロッパ征服戦争と、それに対抗した対仏大同盟諸国の指導者・軍人たちの関係性を視覚化しています。フランス帝国陣営と対仏大同盟陣営(イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリア)の二大勢力を中心に、同盟・敵対・婚姻・裏切りなど複雑に絡み合った人間関係を読み解くことができます。
登場人物一覧
ナポレオン・ボナパルト
フランス皇帝(在位1804-1814年、1815年)。1799年のブリュメール18日のクーデタで第一統領となり、1804年に皇帝に即位。アウステルリッツ、イエナなどの戦いでヨーロッパ大陸を制覇したが、1812年のロシア遠征失敗を機に衰退。1815年ワーテルローの戦いに敗北し、セントヘレナ島に流され1821年に没した。
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
ナポレオンの最初の妻(1763-1814年)。マルティニーク島出身で、最初の夫ボアルネ子爵との間にウジェーヌとオルタンスの二子がいた。1796年にナポレオンと結婚し、1804年に皇后となるが、嫡子に恵まれず1810年に離婚。ナポレオンの最後の言葉は「フランス、軍隊、ジョゼフィーヌ」であったとされる。
マリー・ルイーズ
オーストリア皇帝フランツ2世の長女で、ナポレオンの2番目の妻(1791-1847年)。1810年にメッテルニヒの仲介で政略結婚。幼少期からナポレオンを憎んでいたが、結婚後は心を開いた。1811年にナポレオン2世(ローマ王)を出産。ナポレオン没落後はパルマ女公となった。
ミシェル・ネイ
フランス元帥(1769-1815年)。樽職人の子に生まれ、ナポレオンから「勇者の中の勇者(le Brave des Braves)」と称された。エルシンゲン、イエナ、フリートラントなどの戦いで活躍。1812年のロシア遠征では後衛司令官として退却を指揮し、モスクワ大公の称号を得た。ワーテルローの戦いでは前衛を指揮したが敗北、戦後に銃殺刑に処された。
タレーラン
フランスの政治家・外交官(1754-1838年)。名門貴族出身で元オータン司教。ナポレオン政権下で外務大臣を務めたが、国際協調に基づく外交を重んじ、ナポレオンの侵略的政策と対立して1807年に外相を辞任。密かにナポレオンの失脚を画策し、「裏切りの天才」と呼ばれた。ウィーン会議ではフランス代表として正統主義を唱え、敗戦国フランスの国益を巧みに守った。
ルイ=ニコラ・ダヴー
フランス元帥(1770-1823年)。「鉄の元帥(Iron Marshal)」の異名を持つナポレオン最も信頼した将軍の一人。厳格な規律と緻密な作戦計画で知られ、アウエルシュテットの戦い(1806年)では独力でプロイセン主力軍を撃破する偉業を成し遂げた。ナポレオン元帥の中で無敗を誇った稀有な存在。
ホレーショ・ネルソン
イギリス海軍提督(1758-1805年)。牧師の家に生まれ12歳で海軍入り。戦傷で右目の視力と右腕を失いながらも戦い続けた。1798年のナイルの海戦でナポレオン艦隊を撃破。1805年のトラファルガー海戦では「ネルソン・タッチ」と呼ばれる戦術でフランス・スペイン連合艦隊を壊滅させたが、自らは戦死した。「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」の信号で知られる。
ウェリントン公爵
イギリスの軍人・政治家(1769-1852年)。本名アーサー・ウェルズリー。ナポレオンと同い年のアイルランド貴族出身。スペイン・ポルトガル戦線(半島戦争)でナポレオン軍を撃退し、1814年までにフランス軍をイベリア半島から駆逐した。1815年のワーテルローの戦いではブリュッヘル率いるプロイセン軍と連携してナポレオンに最終的勝利を収めた。のちにイギリス首相も務めた。
アレクサンドル1世
ロシア皇帝(1777-1825年、在位1801-1825年)。1805年のアウステルリッツの戦い、1807年のフリートラントの戦いでナポレオンに敗北し、ティルジット条約を締結してフランスとの同盟と大陸封鎖令への参加を約束した。しかし大陸封鎖によるロシア経済の悪化から対英通商を黙認し、1812年のナポレオンのロシア遠征を招いた。ロシア遠征を撃退し、ナポレオン没落の契機を作った。
メッテルニヒ
オーストリアの外交官・政治家(1773-1859年)。1809年より外相に就任し、皇帝フランツ2世の信頼が厚かった。1810年にナポレオンと皇女マリー・ルイーズとの結婚を仲介。ナポレオンのロシア遠征失敗後は反ナポレオン陣営に転じ、ウィーン会議では議長として勢力均衡と正統主義に基づくヨーロッパ秩序の再建を主導した。
フランツ2世
最後の神聖ローマ皇帝・初代オーストリア皇帝(1768-1835年)。1805年のアウステルリッツの戦い(三帝会戦)でナポレオンに惨敗し、1806年に神聖ローマ帝国を解散。オーストリア皇帝フランツ1世として帝国を再編した。1810年に娘マリー・ルイーズをナポレオンに嫁がせる政略結婚に不本意ながら同意。ナポレオン没落後はウィーン会議を主催した。
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
プロイセン国王(1770-1840年、在位1797-1840年)。1806年にフランスに宣戦したが、イエナ・アウエルシュテットの戦いで壊滅的敗北を喫し、ベルリンも占領された。1807年に屈辱的なティルジット条約を結ばされた。その後シュタイン、ハルデンベルクらによるプロイセン改革が行われ、国力を回復。解放戦争でナポレオン打倒に貢献した。
ブリュッヘル
プロイセンの陸軍元帥(1742-1819年)。攻撃的な性格から「前進元帥(Marschall Vorwärts)」と渾名された。ナポレオン戦争後半のプロイセン軍総司令官として活躍。1815年のワーテルローの戦いでは、リニーの戦いで負傷しながらもプロイセン軍を率いて強行軍でウェリントンのもとへ駆けつけ、ナポレオン撃破に決定的な役割を果たした。
関係性一覧
- ナポレオン →最初の妻(1796-1810離婚) →ジョゼフィーヌナポレオン は ジョゼフィーヌ に対して「最初の妻(1796-1810離婚)」の関係です。
- ナポレオン →2番目の妻(1810年再婚) →マリー・ルイーズナポレオン は マリー・ルイーズ に対して「2番目の妻(1810年再婚)」の関係です。
- フランツ2世 →父→娘 →マリー・ルイーズフランツ2世 は マリー・ルイーズ に対して「父→娘」の関係です。
- ナポレオン →「勇者の中の勇者」と称賛 →ネイ元帥ナポレオン は ネイ元帥 に対して「「勇者の中の勇者」と称賛」の関係です。
- ネイ元帥 →忠誠を尽くした元帥 →ナポレオンネイ元帥 は ナポレオン に対して「忠誠を尽くした元帥」の関係です。
- ナポレオン →最も信頼した将軍 →ダヴー元帥ナポレオン は ダヴー元帥 に対して「最も信頼した将軍」の関係です。
- ナポレオン →外務大臣に任命 →タレーランナポレオン は タレーラン に対して「外務大臣に任命」の関係です。
- タレーラン →密かに失脚を画策(裏切り) →ナポレオンタレーラン は ナポレオン に対して「密かに失脚を画策(裏切り)」の関係です。
- ナポレオン →海上で敗北(トラファルガー海戦) →ネルソン提督ナポレオン は ネルソン提督 に対して「海上で敗北(トラファルガー海戦)」の関係です。
- ナポレオン →宿敵(ワーテルローで最終決戦) →ウェリントン公爵ナポレオン は ウェリントン公爵 に対して「宿敵(ワーテルローで最終決戦)」の関係です。
- ナポレオン →ティルジット条約→ロシア遠征で対立 →アレクサンドル1世ナポレオン は アレクサンドル1世 に対して「ティルジット条約→ロシア遠征で対立」の関係です。
- ナポレオン →義理の父(政略結婚) →フランツ2世ナポレオン は フランツ2世 に対して「義理の父(政略結婚)」の関係です。
- ナポレオン →イエナで壊滅的敗北を与えた →フリードリヒ・ヴィルヘルム3世ナポレオン は フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 に対して「イエナで壊滅的敗北を与えた」の関係です。
- メッテルニヒ →結婚を仲介→反ナポレオンに転向 →ナポレオンメッテルニヒ は ナポレオン に対して「結婚を仲介→反ナポレオンに転向」の関係です。
- メッテルニヒ →外相として信頼された →フランツ2世メッテルニヒ は フランツ2世 に対して「外相として信頼された」の関係です。
- ウェリントン公爵 →ワーテルローで共闘 →ブリュッヘルウェリントン公爵 は ブリュッヘル に対して「ワーテルローで共闘」の関係です。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 →プロイセン軍総司令官に任命 →ブリュッヘルフリードリヒ・ヴィルヘルム3世 は ブリュッヘル に対して「プロイセン軍総司令官に任命」の関係です。
- メッテルニヒ →ウィーン会議で外交交渉 →タレーランメッテルニヒ は タレーラン に対して「ウィーン会議で外交交渉」の関係です。
- ダヴー元帥 →アウエルシュテットでプロイセン主力を撃破 →フリードリヒ・ヴィルヘルム3世ダヴー元帥 は フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 に対して「アウエルシュテットでプロイセン主力を撃破」の関係です。
- ネイ元帥 →ワーテルローで交戦 →ウェリントン公爵ネイ元帥 は ウェリントン公爵 に対して「ワーテルローで交戦」の関係です。
- アレクサンドル1世 →対仏大同盟の同盟国 →フリードリヒ・ヴィルヘルム3世アレクサンドル1世 は フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 に対して「対仏大同盟の同盟国」の関係です。
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