壬申の乱(672年)は、天智天皇の崩御後に起こった古代日本最大の内乱です。天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が、天智天皇の子・大友皇子(後に弘文天皇と追号)の近江朝廷に対して挙兵しました。
当初は弟の大海人皇子が皇位を継承するとみなされていましたが、天智天皇が息子の大友皇子を太政大臣に任命して後継とする意思を示したことで対立が生まれました。大海人皇子は出家を申し出て吉野に退きましたが、天智天皇の崩御後に挙兵。美濃・伊勢の豪族たちの支持を得て近江朝廷軍を破り、瀬田橋の戦いで決着がつきました。大友皇子は自害し、大海人皇子は天武天皇として即位して律令国家の基礎を築きました。
登場人物一覧
天智天皇
第38代天皇(中大兄皇子)。舒明天皇と皇極(斉明)天皇の長子で、大化の改新を主導した。大海人皇子の同母兄。671年に大友皇子を太政大臣に任命し後継者とする方針を示したが、同年12月に近江大津宮で崩御。その死が壬申の乱の発端となった。
額田王
鏡王の娘で万葉集を代表する宮廷歌人。はじめ大海人皇子の妃となり十市皇女を生んだが、後に天智天皇に召されて近江大津宮に仕えた。万葉集に収められた大海人皇子との恋歌「あかねさす紫野行き標野行き」のやりとりは、二人の天皇に愛された女性として古代最大のスキャンダルとも語られる。
大海人皇子(天武天皇)
天智天皇の同母弟。兄の政治をよく助け人望も厚く、皇位継承者とみなされていた。しかし天智天皇が大友皇子を太政大臣に任命したため、出家を申し出て吉野に退いた。672年に挙兵し、美濃・伊勢の豪族の支持を得て近江朝廷軍を破り、壬申の乱に勝利。飛鳥浄御原宮で第40代天武天皇として即位し、律令国家の基礎を築いた。
鸕野讃良皇女(持統天皇)
天智天皇の第2皇女で、13歳で大海人皇子の妃となった。壬申の乱では草壁皇子・忍壁皇子を連れて夫とともに吉野から美濃への脱出行に同行。『日本書紀』には大海人皇子と「ともに謀を定め」たとあり、挙兵の計画に深く関わったとされる。乱後は天武天皇の皇后となり、天武崩御後に第41代持統天皇として即位。藤原京を造営した。
高市皇子
大海人皇子の長男。壬申の乱では近江大津京を脱出して父に合流し、美濃国不破で軍事の全権を委ねられて全軍の指揮をとった。不破の野上に本営を置き前線の指揮を執り、大海人皇子自身は乱の終結まで野上を動かなかった。乱後は父の命で近江の群臣を処罰。後に持統天皇の時代に太政大臣に就任した。
大伴吹負
大海人皇子方の武将で、大和(倭)方面の将軍。飛鳥で挙兵し、高市皇子の名を装って敵の本営に近づく奇策で倭京の指揮権を奪取した。及楽山で一度敗れたが、葦池と中つ道で連勝して大和を制圧し難波に進出。壬申の乱の二大戦域のうち大和方面の主将として大きな功績を立てた。
村国男依
美濃国の豪族で、大海人皇子の舎人。挙兵の際に吉野から美濃へ派遣された使者の一人で、わずか数日で美濃の兵士3000人を集めて不破道を封鎖した。近江方面の諸将の筆頭として息長の横河で戦端を開き、以後連戦連勝。最終決戦の瀬田橋の戦いで近江朝廷軍を撃破し、壬申の乱最大の功を立てた。乱後は最も多くの報酬と高い位を与えられた。
大友皇子(弘文天皇)
天智天皇の長子。648年生まれ。671年にわが国最初の太政大臣に任ぜられ、天智天皇の後継者として近江朝廷を率いた。壬申の乱で大海人皇子と皇位継承を争ったが、瀬田橋の戦いで大敗し、672年7月23日に自ら縊死した。享年25歳。1870年(明治3年)に弘文天皇の称号を追号された。
十市皇女
大海人皇子と額田王の娘で、大友皇子の妃。壬申の乱では父と夫が敵対するという悲劇的な立場に置かれた。『扶桑略記』『水鏡』等によれば、父の大海人皇子に密書を送って近江朝廷の情報を流したとされる。また『宇治拾遺物語』には「鮒の包み焼きに密書を隠した」という逸話が伝わるが、後世の創作の可能性が高いとされる。
蘇我赤兄
近江朝廷の左大臣。蘇我氏の一族で、大友皇子の近江朝廷において最高位の臣下として補佐した。瀬田の最終決戦(672年7月22日)に参加したが敗北して逃亡。大友皇子の自害翌日に捕縛され、子孫とともに流罪に処された。
関係性一覧
- 天智天皇 →同母弟 →大海人皇子(天武天皇)天智天皇 は 大海人皇子(天武天皇) に対して「同母弟」の関係です。
- 天智天皇 →父→子(後継者に指名) →大友皇子(弘文天皇)天智天皇 は 大友皇子(弘文天皇) に対して「父→子(後継者に指名)」の関係です。
- 天智天皇 →後に後宮に召す →額田王天智天皇 は 額田王 に対して「後に後宮に召す」の関係です。
- 天智天皇 →父→娘 →鸕野讃良皇女(持統天皇)天智天皇 は 鸕野讃良皇女(持統天皇) に対して「父→娘」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →皇位を争い挙兵 →大友皇子(弘文天皇)大海人皇子(天武天皇) は 大友皇子(弘文天皇) に対して「皇位を争い挙兵」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →夫婦(吉野に同行) →鸕野讃良皇女(持統天皇)大海人皇子(天武天皇) は 鸕野讃良皇女(持統天皇) に対して「夫婦(吉野に同行)」の関係です。
- 鸕野讃良皇女(持統天皇) →「ともに謀を定め」挙兵を計画 →大海人皇子(天武天皇)鸕野讃良皇女(持統天皇) は 大海人皇子(天武天皇) に対して「「ともに謀を定め」挙兵を計画」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →元妃(十市皇女を生む) →額田王大海人皇子(天武天皇) は 額田王 に対して「元妃(十市皇女を生む)」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →父→長男(全軍の指揮を委任) →高市皇子大海人皇子(天武天皇) は 高市皇子 に対して「父→長男(全軍の指揮を委任)」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →大和方面の将として従軍 →大伴吹負大海人皇子(天武天皇) は 大伴吹負 に対して「大和方面の将として従軍」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →美濃へ派遣・近江方面の将に任命 →村国男依大海人皇子(天武天皇) は 村国男依 に対して「美濃へ派遣・近江方面の将に任命」の関係です。
- 大海人皇子(天武天皇) →父→娘 →十市皇女大海人皇子(天武天皇) は 十市皇女 に対して「父→娘」の関係です。
- 額田王 →母→娘 →十市皇女額田王 は 十市皇女 に対して「母→娘」の関係です。
- 大友皇子(弘文天皇) →夫婦 →十市皇女大友皇子(弘文天皇) は 十市皇女 に対して「夫婦」の関係です。
- 大友皇子(弘文天皇) →左大臣として補佐 →蘇我赤兄大友皇子(弘文天皇) は 蘇我赤兄 に対して「左大臣として補佐」の関係です。
- 十市皇女 →密書で情報を流す →大海人皇子(天武天皇)十市皇女 は 大海人皇子(天武天皇) に対して「密書で情報を流す」の関係です。
- 大伴吹負 →名を騙り飛鳥を制圧 →高市皇子大伴吹負 は 高市皇子 に対して「名を騙り飛鳥を制圧」の関係です。
- 高市皇子 →軍事指揮 →村国男依高市皇子 は 村国男依 に対して「軍事指揮」の関係です。
- 村国男依 →瀬田橋の戦いで撃破 →大友皇子(弘文天皇)村国男依 は 大友皇子(弘文天皇) に対して「瀬田橋の戦いで撃破」の関係です。
- 村国男依 →瀬田の戦いで敗走させる →蘇我赤兄村国男依 は 蘇我赤兄 に対して「瀬田の戦いで敗走させる」の関係です。
おすすめの相関図

二・二六事件の相関図

太平洋戦争の相関図

『安政の大獄』と『桜田門外の変』の相関図

『ペリー来航と開国』を相関図でわかりやすく解説

『日露戦争』を相関図でわかりやすく解説
