元寇(げんこう)は、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度にわたり、モンゴル帝国(元)・高麗連合軍が日本に侵攻した事件です。
フビライ・ハンの命により、モンゴル・高麗・漢人の混成軍が九州北部に襲来しましたが、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の指揮のもと、日本の武士団が2度にわたり撃退しました。弘安の役では博多湾に築かれた約20kmの石築地(元寇防塁)が上陸を阻み、最終的に暴風雨が元軍を壊滅させました。
登場人物一覧
北条時宗
鎌倉幕府第8代執権(在職1268年〜1284年)。5代執権・北条時頼の嫡男。18歳で執権に就任し、フビライからの国書を黙殺、元の使者を処刑するなど毅然とした姿勢で臨んだ。九州の防衛体制を固め、石築地(元寇防塁)の構築を命じ、2度の元寇を撃退した。34歳で病没。
安達泰盛
鎌倉幕府の有力御家人。評定衆・御恩奉行を歴任し、北条時宗を外戚として支えた。元寇後に御家人への恩賞分配を担当。竹崎季長の直訴を受け、恩賞地を与えた。時宗死後に弘安徳政を推進したが、1285年の霜月騒動で内管領・平頼綱に滅ぼされた。
少弐景資
鎌倉時代中期の武将・御家人。鎮西奉行・少弐資能の三男。文永の役(1274年)では博多湾の防衛戦で「日の大将軍」として九州御家人を指揮し、元軍の征東左副都元帥・劉復亨を矢で射倒す大功を挙げた。弘安の役にも参陣して奮戦。後に霜月騒動で安達泰盛に味方し、兄・経資と対立して敗死した。
竹崎季長
肥後国竹崎郷(現・熊本県宇城市)出身の御家人。菊池氏の一族だが没落していた。文永の役で主従5騎のみで先駆けしたが恩賞を得られず、鎌倉の安達泰盛に直訴して海東郷の地頭職を得た。弘安の役では志賀島の戦いで元船に斬り込み武功を挙げた。自らの戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』は国宝として現存する。
河野通有
伊予国(現・愛媛県)の御家人。弘安の役(1281年)で博多湾の元寇防塁の海側に戦船を並べ、背後に退路を断つ「河野の後築地」と呼ばれる不退転の布陣を敷いた。志賀島の戦いでは石弓で負傷しながらも元船に乗り込み、元軍の将を生け捕る武勲を挙げた。
フビライ・ハン(クビライ)
モンゴル帝国第5代皇帝・元朝初代皇帝。チンギス・ハンの孫。1267年に大都(現・北京)に遷都し、1271年に国号を元と改めた。日本を服属させるため国書を送るも黙殺され、1274年・1281年の2度にわたり日本遠征を命じた。3度目の遠征も計画したが財政難や国内の反乱により断念、1294年に79歳で崩御。
忻都(ヒンドゥ)
元のモンゴル人武将。文永の役(1274年)では都元帥として元軍の総司令官を務め、高麗経由で日本に侵攻した。弘安の役(1281年)でも東路軍の司令官として忻都・洪茶丘が指揮するモンゴル・漢軍3万人を率いて出撃した。
洪茶丘
高麗出身の元の武将。右副都元帥。文永の役(1274年)では右副元帥として忻都・劉復亨とともに日本に侵攻し、対馬・壱岐を攻略した。弘安の役(1281年)でも東路軍の副司令官として忻都とともにモンゴル・漢軍3万人を率いた。
金方慶
高麗の将軍(1212年〜1300年)。文永の役(1274年)では都督使として高麗軍5,300〜8,000人を率いて日本に侵攻。弘安の役(1281年)でも高麗軍1万人の指揮官を務めた。戦況が苦しくなった際に戦闘続行を進言したが却下され、撤退命令に従った。
劉復亨
元の漢人武将。征東左副都元帥。文永の役(1274年)で左副元帥として博多に上陸したが、少弐景資の矢を受けて重傷を負い、これが元軍撤退の一因となった。敗戦の責を問われて降格され、弘安の役には参加しなかった。
関係性一覧
- 北条時宗 →国書を黙殺・使者を処刑 →フビライ・ハン北条時宗 は フビライ・ハン に対して「国書を黙殺・使者を処刑」の関係です。
- フビライ・ハン →日本遠征を命令 →北条時宗フビライ・ハン は 北条時宗 に対して「日本遠征を命令」の関係です。
- 北条時宗 →外戚として補佐 →安達泰盛北条時宗 は 安達泰盛 に対して「外戚として補佐」の関係です。
- 北条時宗 →九州防衛を指揮 →少弐景資北条時宗 は 少弐景資 に対して「九州防衛を指揮」の関係です。
- 北条時宗 →御家人 →竹崎季長北条時宗 は 竹崎季長 に対して「御家人」の関係です。
- 北条時宗 →御家人 →河野通有北条時宗 は 河野通有 に対して「御家人」の関係です。
- 安達泰盛 →直訴を受け恩賞地を授与 →竹崎季長安達泰盛 は 竹崎季長 に対して「直訴を受け恩賞地を授与」の関係です。
- 少弐景資 →矢で射倒す(文永の役) →劉復亨少弐景資 は 劉復亨 に対して「矢で射倒す(文永の役)」の関係です。
- 少弐景資 →博多湾で交戦 →忻都(ヒンドゥ)少弐景資 は 忻都(ヒンドゥ) に対して「博多湾で交戦」の関係です。
- 竹崎季長 →志賀島で交戦(弘安の役) →金方慶竹崎季長 は 金方慶 に対して「志賀島で交戦(弘安の役)」の関係です。
- 河野通有 →元船に斬り込み(弘安の役) →忻都(ヒンドゥ)河野通有 は 忻都(ヒンドゥ) に対して「元船に斬り込み(弘安の役)」の関係です。
- フビライ・ハン →都元帥に任命 →忻都(ヒンドゥ)フビライ・ハン は 忻都(ヒンドゥ) に対して「都元帥に任命」の関係です。
- フビライ・ハン →右副都元帥に任命 →洪茶丘フビライ・ハン は 洪茶丘 に対して「右副都元帥に任命」の関係です。
- フビライ・ハン →左副都元帥に任命 →劉復亨フビライ・ハン は 劉復亨 に対して「左副都元帥に任命」の関係です。
- フビライ・ハン →高麗軍を従軍させる →金方慶フビライ・ハン は 金方慶 に対して「高麗軍を従軍させる」の関係です。
- 忻都(ヒンドゥ) →東路軍を共同指揮 →洪茶丘忻都(ヒンドゥ) は 洪茶丘 に対して「東路軍を共同指揮」の関係です。
- 忻都(ヒンドゥ) →文永の役で共に出陣 →劉復亨忻都(ヒンドゥ) は 劉復亨 に対して「文永の役で共に出陣」の関係です。
- 金方慶 →高麗系の武将(立場は異なる) →洪茶丘金方慶 は 洪茶丘 に対して「高麗系の武将(立場は異なる)」の関係です。
- 竹崎季長 →弘安の役で共に奮戦 →河野通有竹崎季長 は 河野通有 に対して「弘安の役で共に奮戦」の関係です。
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