藤原道長と摂関政治のわかりやすい相関図

平安時代中期、藤原北家は娘を天皇の后として入内させる外戚政策により、摂政・関白として絶大な権力を握りました。その頂点に立ったのが藤原道長です。

道長は3人の娘(彰子・妍子・威子)を一条天皇・三条天皇・後一条天皇の后とし、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ望月の歌は、藤原氏全盛期の象徴として知られています。兄・道隆の死後、甥の伊周との権力争いに勝利し、姉・詮子の後援を得て権力の座に就いた道長の時代には、紫式部や清少納言など女流文学が花開きました。

スクロールで拡大縮小 / ドラッグで移動

登場人物一覧

藤原兼家

藤原兼家

藤原北家の公卿で、摂政・太政大臣。道隆・道兼・道長・詮子らの父。花山天皇を退位に追い込み、孫の一条天皇を即位させて摂政の座に就いた。藤原氏全盛期の礎を築いた人物。

藤原詮子

藤原詮子

藤原兼家の娘で、円融天皇の女御。一条天皇の生母。日本最初の女院として東三条院の院号を受けた。末弟の道長を特に可愛がり、一条天皇を説得して道長を内覧に任命させるなど、道長の権力掌握に大きく貢献した。

藤原道長

藤原道長

藤原兼家の五男。兄・道隆の死後、甥の伊周との権力争いに勝利し、995年に内覧の宣旨を受けた。3人の娘を天皇の后とし、3代の天皇の外祖父として摂関政治の頂点に立った。1018年、三女・威子の立后の祝宴で「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ望月の歌は藤原氏全盛の象徴。

源倫子

源倫子

左大臣源雅信の娘で、宇多天皇の曾孫にあたる。藤原道長の正妻(嫡妻)。彰子・妍子・威子の3人の后と、頼通・教通の2人の関白を生み、藤原氏の繁栄を支えた。90歳の長寿をまっとうした。

藤原頼通

藤原頼通

藤原道長と源倫子の長男。父から摂政の座を譲られ、後一条・後朱雀・後冷泉の3代の天皇に対して約50年にわたり摂政・関白を務めた。宇治に平等院鳳凰堂を建立し、「宇治の関白」と称された。

藤原彰子

藤原彰子

藤原道長の長女。12歳で一条天皇に入内し、1000年に中宮となった。後一条天皇・後朱雀天皇の生母。女房として紫式部・和泉式部・赤染衛門らを従え、華やかな文芸サロンを形成した。院号は上東門院。

藤原妍子

藤原妍子

藤原道長の次女。三条天皇の中宮となったが、皇子を産むことはできず、女児の禎子内親王のみを儲けた。派手好きで自己主張が強い性格だったと伝えられる。18歳年上の三条天皇に政略結婚で嫁いだ。

藤原威子

藤原威子

藤原道長の三女。甥にあたる後一条天皇の中宮となった。1018年の威子の立后の祝宴の席で、父・道長が「望月の歌」を詠んだことで知られる。皇子に恵まれなかった。

一条天皇

一条天皇

第66代天皇(在位986年〜1011年)。母は藤原詮子(東三条院)。藤原定子と藤原彰子の2人の后を持ち、定子を深く寵愛した。彰子との間に後一条天皇・後朱雀天皇を儲けた。文化を愛し、その治世には紫式部・清少納言らにより平安女流文学が花開いた。

三条天皇

三条天皇

第67代天皇(在位1011年〜1016年)。冷泉天皇の皇子で、母は藤原超子(藤原兼家の長女、道長の姉)。藤原道長の次女・妍子を中宮としたが、道長との関係は不仲で、眼病を理由に道長から退位を迫られ、1016年に譲位した。

後一条天皇

後一条天皇

第68代天皇(在位1016年〜1036年)。一条天皇と藤原彰子の第二皇子。三条天皇の譲位を受けて即位し、外祖父の藤原道長が摂政に就いた。叔母にあたる藤原威子を中宮とした。

藤原道隆

藤原道隆

藤原兼家の長男で、藤原道長の兄。990年に父の後を継いで関白に就任し、中関白家を形成した。長女の定子を一条天皇の中宮に立て権勢を誇ったが、995年に43歳で病死。その後、中関白家は急速に衰退した。

藤原伊周

藤原伊周

藤原道隆の嫡男で、藤原道長の甥。父の引き立てにより急速に出世し、994年には道長を凌ぐ立場となった。しかし父の死後、道長との権力争いに敗北。996年の長徳の変で花山法皇襲撃事件に関わり、左遷・失脚した。

藤原定子

藤原定子

藤原道隆の長女。一条天皇に深く寵愛された皇后。美しさと教養、ユーモアのセンスを兼ね備えた才色兼備の后として知られた。清少納言が女房として仕え、『枕草子』に華やかな宮廷サロンの様子が描かれた。長保2年(1000年)、第三子出産直後に24歳で崩御。

紫式部

紫式部

平安時代中期の女房・作家・歌人。日本文学の最高傑作『源氏物語』の作者。藤原道長に才能を見込まれ、一条天皇の中宮・彰子に仕える女房として大抜擢された。彰子に和歌などを教え導く役割を担い、宮廷文芸サロンの中心的存在だった。

清少納言

清少納言

平安時代中期の女房・作家・歌人。随筆『枕草子』の作者。一条天皇の后・藤原定子に女房として約7年間仕え、10歳ほど年下の定子と親密な関係を築いた。『枕草子』には定子の才色兼備ぶりを賞賛する記述が多く残されている。

関係性一覧

  • 藤原兼家父→長男藤原道隆藤原兼家 は 藤原道隆 に対して「父→長男」の関係です。
  • 藤原兼家父→五男藤原道長藤原兼家 は 藤原道長 に対して「父→五男」の関係です。
  • 藤原兼家父→娘藤原詮子藤原兼家 は 藤原詮子 に対して「父→娘」の関係です。
  • 藤原詮子母→息子一条天皇藤原詮子 は 一条天皇 に対して「母→息子」の関係です。
  • 藤原詮子道長を後援藤原道長藤原詮子 は 藤原道長 に対して「道長を後援」の関係です。
  • 藤原道長夫婦源倫子藤原道長 は 源倫子 に対して「夫婦」の関係です。
  • 藤原道長父→長男(摂政を譲る)藤原頼通藤原道長 は 藤原頼通 に対して「父→長男(摂政を譲る)」の関係です。
  • 藤原道長父→長女(入内させる)藤原彰子藤原道長 は 藤原彰子 に対して「父→長女(入内させる)」の関係です。
  • 藤原道長父→次女(入内させる)藤原妍子藤原道長 は 藤原妍子 に対して「父→次女(入内させる)」の関係です。
  • 藤原道長父→三女(入内させる)藤原威子藤原道長 は 藤原威子 に対して「父→三女(入内させる)」の関係です。
  • 藤原道長権力争い(勝利)藤原伊周藤原道長 は 藤原伊周 に対して「権力争い(勝利)」の関係です。
  • 藤原道長弟→兄藤原道隆藤原道長 は 藤原道隆 に対して「弟→兄」の関係です。
  • 藤原道長対立(退位を迫る)三条天皇藤原道長 は 三条天皇 に対して「対立(退位を迫る)」の関係です。
  • 藤原道長外祖父(摂政に就任)後一条天皇藤原道長 は 後一条天皇 に対して「外祖父(摂政に就任)」の関係です。
  • 藤原道長彰子の女房に抜擢紫式部藤原道長 は 紫式部 に対して「彰子の女房に抜擢」の関係です。
  • 藤原彰子中宮一条天皇藤原彰子 は 一条天皇 に対して「中宮」の関係です。
  • 藤原彰子母→息子後一条天皇藤原彰子 は 後一条天皇 に対して「母→息子」の関係です。
  • 藤原妍子中宮三条天皇藤原妍子 は 三条天皇 に対して「中宮」の関係です。
  • 藤原威子中宮後一条天皇藤原威子 は 後一条天皇 に対して「中宮」の関係です。
  • 藤原定子皇后(寵愛)一条天皇藤原定子 は 一条天皇 に対して「皇后(寵愛)」の関係です。
  • 藤原道隆父→長女(入内させる)藤原定子藤原道隆 は 藤原定子 に対して「父→長女(入内させる)」の関係です。
  • 藤原道隆父→嫡男(引き立て)藤原伊周藤原道隆 は 藤原伊周 に対して「父→嫡男(引き立て)」の関係です。
  • 紫式部女房として仕える藤原彰子紫式部 は 藤原彰子 に対して「女房として仕える」の関係です。
  • 清少納言女房として仕える藤原定子清少納言 は 藤原定子 に対して「女房として仕える」の関係です。
  • 藤原頼通摂政・関白(約50年)後一条天皇藤原頼通 は 後一条天皇 に対して「摂政・関白(約50年)」の関係です。

おすすめの相関図