戦国三英傑の相関図

戦国三英傑とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて天下統一を推し進めた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人を指す。3人はいずれも現在の愛知県(尾張国・三河国)の出身である。

信長が天下統一の基盤を築き、秀吉がそれを継承して天下統一を果たし、家康が江戸幕府を開いて約260年の太平の世を実現した。本相関図では、三英傑を中心に、彼らの家臣・妻・ライバル大名の関係を描く。

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登場人物一覧

織田信長

織田信長

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。尾張国の織田信秀の嫡男として生まれ、尾張を統一した後、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、天下統一へと躍進した。楽市楽座や鉄砲の大量運用など革新的な政策で知られるが、天正10年(1582年)本能寺の変で家臣・明智光秀の謀反により横死した。

濃姫(帰蝶)

濃姫(帰蝶)

美濃の戦国大名・斎藤道三の娘で、織田信長の正室。天文18年(1549年)に政略結婚で信長に嫁いだ。「濃姫」は美濃から来た姫の略称で、本名ではない。信長との間に子はなかったが、夫婦仲は良好であったとされる。結婚後の記録がほとんど残らず、謎の多い女性である。

明智光秀

明智光秀

織田信長の家臣で、浪人の身分から丹波・畿内方面の司令官にまで出世した。天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変を起こして主君・信長を討った。謀反の動機には怨恨説や四国政策をめぐる面目喪失など諸説ある。変の直後、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、落ち延びる途中で命を落とした。

柴田勝家

柴田勝家

織田家の筆頭家老。北陸方面の平定を任され、「鬼柴田」と恐れられた猛将。本能寺の変後の清洲会議で羽柴秀吉と対立し、信長の妹・お市の方を正室に迎えた。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、妻・お市の方と共に北ノ庄城で自害した。

お市の方

お市の方

織田信長の妹で「天下一の美人」と称された。はじめ近江の浅井長政に嫁ぎ、茶々・初・江の三姉妹をもうけたが、天正元年(1573年)に小谷城が落城し長政が自害。本能寺の変後、柴田勝家に再嫁したが、天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れると、共に北ノ庄城で自害した。享年37歳。

前田利家

前田利家

加賀藩主・前田氏の祖。14歳のころ織田信長に小姓として仕え、赤母衣衆として活躍し「槍の又左」の異名を持つ槍の名手。北陸方面では柴田勝家の与力として越前に配属された。本能寺の変後は初め勝家に付くも、賤ヶ岳の戦いで秀吉側に寝返った。豊臣政権では五大老の一人として秀頼の後見人を務めた。

豊臣秀吉

豊臣秀吉

織田信長の家臣で、草履取りなどの「小者」から重臣にまで成り上がった。天文23年(1554年)頃から信長に仕え始め、城攻めの功績で信頼を獲得した。本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀を討ち、清洲会議・賤ヶ岳の戦いを経て信長の権力と体制を継承。天正13年(1585年)に関白に任じられ、天下統一を果たした。

ねね(北政所)

ねね(北政所)

豊臣秀吉の正室。永禄4年(1561年)、身分の低い木下藤吉郎(後の秀吉)に嫁いだ。政略婚ではなく恋愛結婚だったとされる。無名時代の秀吉を支え続け、秀吉が関白に任じられると「北政所」と称され、朝廷との交渉など豊臣政権のファーストレディーとして大きな役割を果たした。

徳川家康

徳川家康

三河国の戦国大名で、戦国三英傑の一人。織田信長とは「清洲同盟」と称される軍事同盟を結び、名目上は対等な関係を維持した。信長に仕えていた秀吉とは同僚のような関係だったが、小牧・長久手の戦い後の和睦で次男・於義丸を秀吉の養子に出し、天正14年(1586年)に秀吉に臣従した。秀吉死後、関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた。

築山殿

築山殿

徳川家康の正室。今川家の一族で、弘治3年(1557年)に今川家の人質であった松平元康(家康)と結婚し、嫡男・松平信康と亀姫をもうけた。天正7年(1579年)、武田家との内通の疑いをかけられ、織田信長の命により処分されることとなり、非業の最期を遂げた。

武田信玄

武田信玄

甲斐国の戦国大名で武田氏第19代当主。「甲斐の虎」と称された。天文10年(1541年)に父・信虎を追放して家督を継ぎ、信濃・駿河などに領国を拡大した。越後の上杉謙信とは五次にわたる川中島の戦いで抗争した。晩年、上洛を目指して三方ヶ原の戦いで徳川軍を粉砕したが、元亀4年(1573年)に病で53歳の生涯を閉じた。

上杉謙信

上杉謙信

越後国の戦国大名で、初名は長尾景虎。「軍神」「越後の龍」と称され、生涯70回以上出陣してほとんど負けなかったとされる。19歳で越後の守護代となり、22歳で越後統一を果たした。武田信玄との川中島の戦いは戦国時代を代表する名勝負として知られる。天正6年(1578年)に春日山城で急死した。享年49歳。

今川義元

今川義元

駿河国の戦国大名。武田信玄・北条氏康と甲相駿三国同盟を結び、東海地方に勢力を築いた。川中島の戦いでは武田・上杉間の仲介役も務めた。永禄3年(1560年)、2万5千の大軍を率いて尾張に侵攻したが、桶狭間の戦いで織田信長のわずか4千の軍に奇襲され討ち取られた。築山殿は今川家の一族である。

関係性一覧

  • 織田信長夫婦濃姫(帰蝶)織田信長 は 濃姫(帰蝶) に対して「夫婦」の関係です。
  • 織田信長主君→家臣明智光秀織田信長 は 明智光秀 に対して「主君→家臣」の関係です。
  • 明智光秀本能寺の変で謀反織田信長明智光秀 は 織田信長 に対して「本能寺の変で謀反」の関係です。
  • 織田信長主君→筆頭家老柴田勝家織田信長 は 柴田勝家 に対して「主君→筆頭家老」の関係です。
  • 織田信長主君→家臣豊臣秀吉織田信長 は 豊臣秀吉 に対して「主君→家臣」の関係です。
  • 織田信長主君→小姓・赤母衣衆前田利家織田信長 は 前田利家 に対して「主君→小姓・赤母衣衆」の関係です。
  • 織田信長清洲同盟(対等な軍事同盟)徳川家康織田信長 は 徳川家康 に対して「清洲同盟(対等な軍事同盟)」の関係です。
  • 織田信長兄→妹お市の方織田信長 は お市の方 に対して「兄→妹」の関係です。
  • 柴田勝家夫婦(再婚)お市の方柴田勝家 は お市の方 に対して「夫婦(再婚)」の関係です。
  • 柴田勝家上官→与力前田利家柴田勝家 は 前田利家 に対して「上官→与力」の関係です。
  • 豊臣秀吉夫婦(恋愛結婚)ねね(北政所)豊臣秀吉 は ねね(北政所) に対して「夫婦(恋愛結婚)」の関係です。
  • 豊臣秀吉山崎の戦いで討伐明智光秀豊臣秀吉 は 明智光秀 に対して「山崎の戦いで討伐」の関係です。
  • 豊臣秀吉賤ヶ岳の戦いで対立柴田勝家豊臣秀吉 は 柴田勝家 に対して「賤ヶ岳の戦いで対立」の関係です。
  • 豊臣秀吉主君→臣従(元同僚)徳川家康豊臣秀吉 は 徳川家康 に対して「主君→臣従(元同僚)」の関係です。
  • 豊臣秀吉親友・五大老に任命前田利家豊臣秀吉 は 前田利家 に対して「親友・五大老に任命」の関係です。
  • 前田利家賤ヶ岳で寝返り柴田勝家前田利家 は 柴田勝家 に対して「賤ヶ岳で寝返り」の関係です。
  • 徳川家康夫婦築山殿徳川家康 は 築山殿 に対して「夫婦」の関係です。
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  • 今川義元甲相駿三国同盟武田信玄今川義元 は 武田信玄 に対して「甲相駿三国同盟」の関係です。
  • 今川義元今川一族築山殿今川義元 は 築山殿 に対して「今川一族」の関係です。
  • 武田信玄川中島の戦い(宿敵)上杉謙信武田信玄 は 上杉謙信 に対して「川中島の戦い(宿敵)」の関係です。
  • 武田信玄三方ヶ原の戦いで大勝徳川家康武田信玄 は 徳川家康 に対して「三方ヶ原の戦いで大勝」の関係です。

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