1917年のロシア革命は、二月革命によるロマノフ朝の崩壊と、十月革命によるボリシェヴィキの権力掌握という二つの革命から成る。
第一次世界大戦の長期化による国民の疲弊と、皇帝ニコライ2世の失政が二月革命を引き起こし、臨時政府が成立した。しかし臨時政府も戦争を継続したため国民の不満は収まらず、レーニン率いるボリシェヴィキが十月革命で政権を奪取。世界初の社会主義国家ソビエト・ロシアが誕生した。
登場人物一覧
ニコライ2世
ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝(1868-1918)。第一次世界大戦の長期化と国内の経済悪化に対処できず、1917年3月の二月革命で退位に追い込まれた。1918年7月、エカテリンブルクのイパチェフ館で家族と共に銃殺された。
アレクサンドラ皇后
ニコライ2世の皇后。ヘッセン大公国出身でイギリスのヴィクトリア女王の孫。皇太子アレクセイの血友病に悩み、治療と称する怪僧ラスプーチンに傾倒した。ラスプーチンを通じて政治に介入し、宮廷の混乱を招いた。1918年、皇帝一家と共に銃殺された。
皇太子アレクセイ
ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の長男で、ロシア帝国最後の皇太子(1904-1918)。母方の曾祖母ヴィクトリア女王から受け継いだ血友病を患い、その治療がラスプーチンの宮廷への影響力拡大の原因となった。13歳で家族と共に銃殺された。
ラスプーチン
シベリア出身の農民宗教家(1869-1916)。「怪僧」と呼ばれ、皇太子アレクセイの血友病を祈祷で癒やしたとされ、アレクサンドラ皇后の篤い信頼を得た。大臣人事にも口出しするなど宮廷で絶大な影響力を持った。1916年12月、皇族ユスーポフ公らにより暗殺された。
ユスーポフ公
フェリックス・ユスーポフ。ニコライ2世の姪イリナの夫で、ロシア屈指の名門貴族。1916年12月、皇族ドミトリー・パヴロヴィチや極右議員プリシケヴィチと共にラスプーチンを自邸に招き暗殺した。ラスプーチンの宮廷への悪影響を排除する目的だった。
レーニン
ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870-1924)。ボリシェヴィキの指導者であり、ソビエト連邦の創設者・初代最高指導者。本名ウリヤノフ。1903年にロシア社会民主労働党をボリシェヴィキ(多数派)として率い、1917年4月に封印列車でロシアに帰国。十月革命で臨時政府を打倒し、ソビエト政権を樹立した。
トロツキー
レフ・トロツキー(1879-1940)。ペトログラード・ソビエト議長として十月革命の作戦立案と実行を指導した。革命後は外務人民委員としてブレスト=リトフスク条約の交渉にあたり、軍事人民委員として赤軍を創設・組織し、内戦で白軍を撃破した。レーニンに「中央委員会で最も能力ある人物」と評された。レーニン死後、スターリンとの権力闘争に敗れ国外追放、1940年メキシコで暗殺された。
スターリン
ヨシフ・スターリン(1878-1953)。グルジア出身のボリシェヴィキ党員。1917年の二月革命後、流刑地から解放されプラウダ編集部に復帰。十月革命では表立った役割は少なかったが、革命後に民族人民委員に就任。1922年に党書記長となり、レーニン死後の権力闘争でトロツキーを追い落とし、一国社会主義論を掲げてソ連の独裁者となった。
ケレンスキー
アレクサンドル・ケレンスキー(1881-1970)。弁護士・政治家で社会革命党員。二月革命後に成立した臨時政府で法務大臣、陸軍大臣を歴任し、1917年7月に首相(大臣会議議長)に就任。第一次世界大戦を継続する方針をとったが、十月革命でボリシェヴィキに政権を奪われ亡命した。
コルニーロフ
ラーヴル・コルニーロフ(1870-1918)。ロシア陸軍大将。二月革命後にロシア軍最高総司令官に任命された。1917年8月、軍事独裁を目指してケレンスキー臨時政府に対し反乱(コルニーロフの反乱)を起こしたが、ボリシェヴィキを中核とするソビエトの抵抗により失敗し逮捕された。この事件がボリシェヴィキの勢力拡大につながった。
関係性一覧
- ニコライ2世 →夫婦 →アレクサンドラ皇后ニコライ2世 は アレクサンドラ皇后 に対して「夫婦」の関係です。
- ニコライ2世 →父→息子 →皇太子アレクセイニコライ2世 は 皇太子アレクセイ に対して「父→息子」の関係です。
- アレクサンドラ皇后 →母→息子 →皇太子アレクセイアレクサンドラ皇后 は 皇太子アレクセイ に対して「母→息子」の関係です。
- アレクサンドラ皇后 →篤く信頼・依存 →ラスプーチンアレクサンドラ皇后 は ラスプーチン に対して「篤く信頼・依存」の関係です。
- ラスプーチン →血友病の治療 →皇太子アレクセイラスプーチン は 皇太子アレクセイ に対して「血友病の治療」の関係です。
- ラスプーチン →政治介入・操縦 →ニコライ2世ラスプーチン は ニコライ2世 に対して「政治介入・操縦」の関係です。
- ユスーポフ公 →暗殺(1916年12月) →ラスプーチンユスーポフ公 は ラスプーチン に対して「暗殺(1916年12月)」の関係です。
- ユスーポフ公 →皇族の縁戚 →ニコライ2世ユスーポフ公 は ニコライ2世 に対して「皇族の縁戚」の関係です。
- レーニン →革命の同志・信頼 →トロツキーレーニン は トロツキー に対して「革命の同志・信頼」の関係です。
- レーニン →指導者→部下(後に警戒) →スターリンレーニン は スターリン に対して「指導者→部下(後に警戒)」の関係です。
- トロツキー →権力闘争・対立 →スターリントロツキー は スターリン に対して「権力闘争・対立」の関係です。
- スターリン →追放・暗殺を命令 →トロツキースターリン は トロツキー に対して「追放・暗殺を命令」の関係です。
- レーニン →十月革命で政権打倒 →ケレンスキーレーニン は ケレンスキー に対して「十月革命で政権打倒」の関係です。
- ケレンスキー →二月革命後に臨時政府樹立 →ニコライ2世ケレンスキー は ニコライ2世 に対して「二月革命後に臨時政府樹立」の関係です。
- コルニーロフ →反乱(1917年8月) →ケレンスキーコルニーロフ は ケレンスキー に対して「反乱(1917年8月)」の関係です。
- ケレンスキー →最高総司令官に任命→解任 →コルニーロフケレンスキー は コルニーロフ に対して「最高総司令官に任命→解任」の関係です。
- トロツキー →十月革命を軍事指揮 →ケレンスキートロツキー は ケレンスキー に対して「十月革命を軍事指揮」の関係です。
- レーニン →皇帝一家の処刑を容認 →ニコライ2世レーニン は ニコライ2世 に対して「皇帝一家の処刑を容認」の関係です。
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