始皇帝(嬴政)は、紀元前221年に中国史上初めて天下統一を成し遂げ、「皇帝」の称号を創設した秦の初代皇帝です。
趙の都・邯鄲で人質同然に生まれ育ち、13歳で秦王に即位。呂不韋や李斯らの補佐を受けながら六国を次々と滅ぼし、郡県制・度量衡の統一・文字の統一など中央集権体制を築き上げました。一方で焚書坑儒や万里の長城建設など苛烈な政策でも知られます。紀元前210年、巡幸中に崩御。死後、宦官・趙高の陰謀により秦はわずか15年で滅亡しました。
登場人物一覧
始皇帝(嬴政)
紀元前259年〜紀元前210年。秦の第31代君主にして中国初代皇帝(在位:前221年〜前210年)。趙の都・邯鄲で人質同然に生まれ育ち、13歳で秦王に即位。嫪毐の乱を鎮圧し、呂不韋を罷免して親政を開始。六国を次々と滅ぼして紀元前221年に天下統一を達成した。郡県制の施行、度量衡・文字・貨幣の統一など中央集権体制を確立。焚書坑儒や万里の長城建設でも知られる。紀元前210年、巡幸中に崩御した。
李斯
?〜紀元前208年。楚の上蔡出身の政治家・文学家。荀子に帝王術を学んだ後、秦に赴き呂不韋の食客となった。秦王政に諸国統一を進言して客卿に取り立てられ、『諫逐客書』で逐客令の撤回を実現。天下統一後は丞相として郡県制の採用、文字統一、焚書坑儒を推進した。始皇帝死後、趙高にそそのかされ遺詔を改竄し胡亥を擁立したが、後に趙高に陥れられ腰斬の刑に処された。
趙高
?〜紀元前207年。秦の宦官で中車府令を務めた。始皇帝の末子・胡亥の教育係を務め、始皇帝崩御後は李斯と共謀して遺詔を偽造し、太子扶蘇と蒙恬を自殺に追い込み、胡亥を二世皇帝として擁立した。その後、李斯を陥れて中丞相となり国政を専断。蒙毅をかつて死罪に処されかけた恨みから蒙氏一族を滅亡に追いやった。最終的に子嬰に誅殺された。
蒙恬
?〜紀元前210年。秦の名将で蒙驁の孫、蒙武の子。始皇帝の命により30万の兵を率いて匈奴を討伐し、オルドス地方を奪回。万里の長城の修築・連結を統括し、西の臨洮から東の遼東まで1万余里に及ぶ長城を築いた。北辺防衛の任にあたる傍ら、太子扶蘇の監軍を務めた。始皇帝死後、趙高の偽詔により自殺を命じられ、服毒して果てた。
蒙毅
?〜紀元前210年。蒙恬の弟で秦の上卿。始皇帝の側近中の側近として、外出時には同じ車に乗り、朝廷では謀策を献じて「忠信の大臣」と称された。かつて趙高が大罪を犯した際に法に従い死罪を下したが、始皇帝の恩赦で趙高は助命された。始皇帝が巡幸中に病に倒れた際、山川の神霊への祈祷に派遣されたが、帰還前に始皇帝が崩御。趙高の讒言により殺害された。
王翦
秦の大将軍で六国統一の最大の功労者。趙・燕・楚の三大国を滅ぼした。紀元前236年に趙を攻め9城を落とし、紀元前228年に趙を滅亡させた。紀元前227年には荊軻の暗殺未遂事件後に燕を攻め、都の薊を陥落させた。楚攻めでは60万の大軍を要求し、秦王政が一度は退けたものの、李信の20万の軍が大敗した後に復帰を懇願されて出陣。楚を滅ぼした。天下統一後は引退し天寿を全うしたとされる。
趙姫(太后)
?〜紀元前228年。始皇帝の生母で、趙の豪族の娘。元は呂不韋の妾であったが、秦の公子・子楚(後の荘襄王)に乞われて妃となり、紀元前259年に政(後の始皇帝)を生んだ。荘襄王の死後は太后として権勢を振るい、呂不韋や偽宦官の嫪毐と密通した。嫪毐との間に二子をもうけたが、嫪毐の乱の後に雍城に幽閉された。
扶蘇
?〜紀元前210年。始皇帝の長男で本来の後継者。温厚で人望が厚く、勇敢さも備えていた。父に対してしばしば諫言を行ったために疎まれ、北方の蒙恬のもとに監軍として派遣された。始皇帝崩御後、趙高が偽造した遺詔により自決を命じられ、命に従い自刎した。秦の民衆からの信望は厚く、後に陳勝・呉広の乱では扶蘇の名が旗印として用いられた。
胡亥
紀元前230年〜紀元前207年。始皇帝の末子で秦の二世皇帝(在位:前210年〜前207年)。趙高に教育を受け、その傀儡として即位した。始皇帝崩御後、趙高と李斯の共謀により兄の扶蘇を偽詔で自殺に追い込み皇帝に即位。治世では阿房宮の建造や過酷な刑罰で民を苦しめた。全権を趙高に握られ、陳勝・呉広の乱を契機に各地で反乱が勃発。最終的に趙高配下の閻楽により自害に追い込まれた。
呂不韋
?〜紀元前235年。戦国時代の大商人から秦の政治家に転じた人物。趙で人質であった秦の公子・異人(後の荘襄王)を見て「奇貨居くべし」と評し、華陽夫人への工作で異人を太子に押し上げた。荘襄王即位後に丞相、政の代には相国・仲父として秦の実権を握った。しかし太后(趙姫)との密通や嫪毐事件への連座により紀元前237年に罷免され、蜀への流刑を告げられると鴆酒を仰いで自殺した。
嫪毐
?〜紀元前238年。呂不韋の食客で、呂不韋が太后(趙姫)との関係発覚を恐れて代わりに紹介した人物。偽宦官として後宮に入り太后の愛人となり、太后との間に二子をもうけた。長信侯に封じられ権勢を誇ったが、紀元前238年に秦王政の成人式(加冠の礼)に際して反乱を起こした。昌平君・昌文君に鎮圧され、車裂きの刑に処された。二子も処刑された。
荊軻
?〜紀元前227年。衛出身の刺客。燕の太子丹の命を受け、秦王政(後の始皇帝)の暗殺を企てた。燕の肥沃な地・督亢の地図と、秦の亡命将軍・樊於期の首を携えて秦王に謁見。地図を広げた際に隠した匕首で秦王を襲ったが、柱を回って逃げる秦王を捕らえきれず、最終的に斬り殺された。この暗殺未遂事件は秦王を激怒させ、燕への総攻撃のきっかけとなった。
関係性一覧
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- 呂不韋 →食客として登用 →李斯呂不韋 は 李斯 に対して「食客として登用」の関係です。
- 荊軻 →暗殺を企てるも失敗 →始皇帝(嬴政)荊軻 は 始皇帝(嬴政) に対して「暗殺を企てるも失敗」の関係です。
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