後漢末期の群雄割拠から三国鼎立へ。220年〜280年にかけて、魏・呉・蜀の三国が天下の覇権を巡って争いました。蜀の劉備は関羽・張飛と義兄弟の契りを結び、軍師・諸葛亮の「天下三分の計」のもとで蜀漢を建国。魏の曹操は冷徹な策略と圧倒的な軍事力で華北を統一し、最大勢力を築きました。呉の孫権は周瑜・呂蒙・陸遜ら名将を擁し、長江流域に強固な政権を維持しました。208年の赤壁の戦いでは孫権・劉備連合軍が曹操を破り、三国分立の形勢が決定づけられました。
登場人物一覧
劉備
字は玄徳。蜀漢の初代皇帝。前漢の景帝の子・中山靖王劉勝の末裔とされる。184年の黄巾の乱で関羽・張飛とともに挙兵し、各地を転戦。207年に三顧の礼で諸葛亮を軍師として迎え、「天下三分の計」を示された。赤壁の戦いで曹操を破った後、益州を平定し、221年に蜀(蜀漢)を建国して初代皇帝に即位した。人徳によって多くの優秀な人材を集めたことで知られる。223年に白帝城で崩御し、息子の劉禅と国の行く末を諸葛亮に託した。
関羽
字は雲長。蜀の五虎将軍の筆頭。劉備・張飛と義兄弟の契りを結び、次兄として劉備に生涯忠誠を尽くした。劉備のそばを片時も離れず護衛として近侍した。赤壁の戦い後は荊州の守備を任され、219年には樊城の戦いで曹操軍と交戦したが、呂蒙の「白衣渡江」の策によって背後を突かれ、退路を断たれて捕らえられ処刑された。後世、「義」の象徴として武神・関帝として神格化された。
張飛
字は益徳。蜀の五虎将軍の一人。劉備・関羽と義兄弟の契りを結び、末弟として劉備に忠誠を尽くした。猛将として知られ、長坂橋で曹操の大軍を一喝して退けた逸話は有名。劉備のそばを片時も離れず護衛として近侍した。しかし酒を飲むと部下に暴力を振るう悪癖があり、221年に関羽の仇討ちとなる呉への出陣を前に、部下の張達・范彊に暗殺された。
諸葛亮
字は孔明。蜀漢の丞相。襄陽の古隆中に住んでいたところ、207年に劉備の三顧の礼を受けて出仕した。劉備に「天下三分の計」を示し、蜀漢建国の戦略を立案。劉備との関係を「水魚の交わり」と喩えた。劉備の死後は息子の劉禅を補佐し、「出師の表」を上奏して北伐を敢行。司馬懿と対峙したが、234年に五丈原で陣没した。忠義と知略の象徴として後世に広く称えられている。
趙雲
字は子龍。常山国真定県の人で、蜀の五虎将軍の一人。もとは公孫瓚のもとに身を寄せていたが、劉備と深い絆を結び従うようになった。208年の長坂の戦いでは、単騎で曹操の大軍の中に切り込み、劉備の子・阿斗(のちの劉禅)を救出した。その後も諸葛亮の北伐に従軍するなど蜀漢を支え続けた。公正・無私・誠実な人柄で知られ、後世に広く敬慕された。
曹操
字は孟徳。魏の基礎を築いた政治家・軍略家。後漢の丞相として華北を統一し、中国最大の勢力を誇った。優れた人物眼で荀彧・司馬懿ら有能な人材を登用し、従兄弟の夏侯惇を副将として重用した。208年の赤壁の戦いで孫権・劉備連合軍に敗北したが、その後も魏の支配領域を維持・拡大した。220年に死去し、息子の曹丕が後漢から禅譲を受けて魏を建国、曹操は太祖武帝と追尊された。
司馬懿
字は仲達。魏の重臣で、のちに西晋の礎を築いた人物。荀彧の推挙で曹操に出仕したが、曹操は「司馬懿は臣下の身分にとどまる人物ではない」とその野心を見抜いていた。曹丕の師匠として信任を得て、曹操より四代にわたって仕えた。諸葛亮の北伐に対して防衛にあたり、五丈原で対峙した。249年に高平陵の変でクーデターを起こし、魏の実権を掌握。孫の司馬炎が晋(西晋)を建国し、司馬懿は宣帝と追尊された。
荀彧
字は文若。曹操の首席参謀で、魏の中枢を担う人材を数多く推挙した名臣。許都(許昌)の守りを任され、曹操の留守を支えた。優れた人物眼を持ち、司馬懿をはじめ魏の中核人材を曹操に推挙した。しかし晩年、曹操の魏公就任に頑なに反対し、二人の間には修復不可能な溝が生じた。212年に死去。後に司馬懿は荀彧の才能を「ここ百年をみても誰も敵わない」と評価した。
夏侯惇
字は元譲。曹操の従兄弟であり、曹操が挙兵した時から常に副将として付き従った。曹操は夏侯惇を自分と同等に扱い、臣下の礼をとらせなかった。兗州の混乱時には荀彧と協力して曹操軍の安定を取り戻した。河南の長官を務め、許都の守備にも携わった。隻眼の猛将として知られ、曹操からの信頼は他の誰よりも厚かった。
孫権
字は仲謀。呉の初代皇帝。父・孫堅、兄・孫策の後を継いで江東を統治した。208年の赤壁の戦いでは、諸葛亮の説得と周瑜の進言を受けて曹操との開戦を決断し、周瑜を総指揮官として劉備と同盟して曹操軍を撃退した。周瑜は曹操を赤壁で打ち破り荊州への道を開き、呂蒙は関羽を捕らえて荊州の中南部を呉の領土に加えた。229年に皇帝に即位し、呉を建国した。
周瑜
字は公瑾。廬江郡舒県の出身で、呉の四大都督の初代。孫権の兄・孫策とともに江東を支配下に入れ、曹操に対して一貫して反曹を唱え続けた。208年の赤壁の戦いでは、降服派を沈黙させて孫権を説得し開戦を決断させ、総指揮官として部将・黄蓋の火計を採用して曹操の大軍を撃退した。統率値と知力に優れた名将だったが、210年に36歳で病没した。
呂蒙
字は子明。呉の四大都督の一人。初めは武勇のみの部将だったが、孫権の勧めで学問を学び見識と戦略眼を身につけ、「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事の由来となった。219年に「白衣渡江」の策で荊州を奇襲し、関羽の退路を断って捕縛に追い込んだ。占領地では関羽軍の兵士の家族を保護する善政を敷き、関羽の部下たちの戦意を喪失させた。しかし荊州制圧の直後、42歳で急逝した。
呂布
字は奉先。三国志最強と称される武将。はじめ丁原に仕え、次いで董卓の養子となったが、王允の「連環の計」によって董卓と不和になり、董卓を殺害した。その後、各地の群雄のもとを転々とし、一時は劉備のもとに身を寄せたが裏切った。最終的に曹操に包囲されて降伏を申し出たが受け入れられず、198年に処刑された。『三国志演義』では貂蝉との恋愛が有名。
関係性一覧
- 劉備 →義兄弟(桃園の誓い) →関羽劉備 は 関羽 に対して「義兄弟(桃園の誓い)」の関係です。
- 劉備 →義兄弟(桃園の誓い) →張飛劉備 は 張飛 に対して「義兄弟(桃園の誓い)」の関係です。
- 関羽 →義兄弟 →張飛関羽 は 張飛 に対して「義兄弟」の関係です。
- 劉備 →三顧の礼で登用(水魚の交わり) →諸葛亮劉備 は 諸葛亮 に対して「三顧の礼で登用(水魚の交わり)」の関係です。
- 諸葛亮 →主君として忠義を尽くす →劉備諸葛亮 は 劉備 に対して「主君として忠義を尽くす」の関係です。
- 劉備 →主従(深い信頼) →趙雲劉備 は 趙雲 に対して「主従(深い信頼)」の関係です。
- 曹操 →首席参謀として重用 →荀彧曹操 は 荀彧 に対して「首席参謀として重用」の関係です。
- 荀彧 →魏公就任に反対し対立 →曹操荀彧 は 曹操 に対して「魏公就任に反対し対立」の関係です。
- 曹操 →従兄弟・副将として同等に扱う →夏侯惇曹操 は 夏侯惇 に対して「従兄弟・副将として同等に扱う」の関係です。
- 曹操 →野心を警戒しつつ重用 →司馬懿曹操 は 司馬懿 に対して「野心を警戒しつつ重用」の関係です。
- 荀彧 →曹操に推挙 →司馬懿荀彧 は 司馬懿 に対して「曹操に推挙」の関係です。
- 孫権 →赤壁の総指揮官に任命 →周瑜孫権 は 周瑜 に対して「赤壁の総指揮官に任命」の関係です。
- 孫権 →学問を勧め重用 →呂蒙孫権 は 呂蒙 に対して「学問を勧め重用」の関係です。
- 諸葛亮 →北伐で対峙(宿敵) →司馬懿諸葛亮 は 司馬懿 に対して「北伐で対峙(宿敵)」の関係です。
- 劉備 →天下の覇権を争う →曹操劉備 は 曹操 に対して「天下の覇権を争う」の関係です。
- 曹操 →赤壁の戦いで敗北 →孫権曹操 は 孫権 に対して「赤壁の戦いで敗北」の関係です。
- 劉備 →赤壁で同盟→荊州問題で対立 →孫権劉備 は 孫権 に対して「赤壁で同盟→荊州問題で対立」の関係です。
- 呂蒙 →白衣渡江で荊州を奇襲 →関羽呂蒙 は 関羽 に対して「白衣渡江で荊州を奇襲」の関係です。
- 周瑜 →赤壁で火計により大破 →曹操周瑜 は 曹操 に対して「赤壁で火計により大破」の関係です。
- 呂布 →敗北し処刑される →曹操呂布 は 曹操 に対して「敗北し処刑される」の関係です。
- 呂布 →身を寄せるも裏切る →劉備呂布 は 劉備 に対して「身を寄せるも裏切る」の関係です。
- 夏侯惇 →兗州の危機で協力 →荀彧夏侯惇 は 荀彧 に対して「兗州の危機で協力」の関係です。
- 諸葛亮 →赤壁の同盟を説得 →孫権諸葛亮 は 孫権 に対して「赤壁の同盟を説得」の関係です。
