大坂の陣(1614〜1615年)は、徳川家康が豊臣家を滅ぼした戦国時代最後の大戦です。方広寺鐘銘事件を発端に、慶長19年(1614年)の冬の陣と翌年の夏の陣が行われました。
冬の陣では真田信繁が築いた出城「真田丸」での奮戦が知られ、和議の後に堀を埋め立てられた大坂城は裸城となりました。夏の陣では真田信繁・毛利勝永らが家康本陣に突入するほどの猛攻を見せましたが、最終的に豊臣秀頼・淀殿は大坂城で自害し、豊臣家は滅亡しました。
登場人物一覧
徳川家康
江戸幕府の初代将軍。慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲り大御所となるも、実権を握り続けた。方広寺鐘銘事件を口実に豊臣家討伐を決意し、大坂の陣を主導。冬の陣では和議に持ち込み堀の埋め立てを実現、夏の陣で豊臣家を滅亡させた。
徳川秀忠
江戸幕府第2代将軍。家康の三男。正室は淀殿の妹・江(崇源院)。冬の陣では6万の軍勢を率いて江戸を出発し、17日間の強行軍で伏見に到着。夏の陣にも参陣したが、いずれも目立った戦功は挙げられなかった。
本多正信
徳川家康の側近・参謀。家康から「友」と呼ばれたほどの信任を得た。関ヶ原の戦い前の調略工作や、大坂の陣における和平交渉など外交手腕に優れた。息子の本多正純とともに、冬の陣の講和交渉や堀の埋め立てを進言したとされる。
片桐且元
もとは豊臣家の宿老で、秀吉子飼いの武将。方広寺鐘銘事件では豊臣方として家康との交渉にあたったが、大坂城に戻ると大野治房・渡辺糺らから徳川方への内通を疑われ追放された。冬の陣では徳川方の先鋒を命じられた。
藤堂高虎
徳川方の外様大名で築城の名手。冬の陣では谷町口に配置された。夏の陣では河内方面の先鋒を志願し、八尾の戦いで長宗我部盛親隊と激戦を繰り広げた。一族の藤堂良勝らをはじめ600人以上の死傷者を出す激闘となった。
伊達政宗
奥羽の覇者として知られる仙台藩主。冬の陣では松屋町口に配置された。夏の陣の道明寺の戦いでは松平忠明とともに2万以上の兵力で後藤又兵衛の隊を攻撃し、これを討ち取った。
豊臣秀頼
豊臣家最後の当主。豊臣秀吉と淀殿の子として生まれた。二条城で家康と面会した際、その風格に家康が脅威を感じたという逸話が残る。大坂の陣では牢人衆を招き入れ徳川に対抗するが、慶長20年5月8日に淀殿・大野治長とともに大坂城の山里曲輪で自害した。
淀殿(茶々)
浅井長政と織田信長の妹・お市の方の長女で、浅井三姉妹の一人。豊臣秀吉の側室となり秀頼を産んだ。秀吉死後は豊臣家の実権を握り、徳川への臣従を拒否し続けた。大坂夏の陣で秀頼とともに自害。妹の江は徳川秀忠の正室であった。
大野治長
淀殿の乳兄弟で、母は淀殿の乳母・大蔵卿局。片桐且元の追放後、織田有楽斎とともに豊臣家の中心人物として軍議を主導した。夏の陣の敗北後、千姫を脱出させた上で秀頼・淀殿の助命嘆願を行ったが聞き入れられず、ともに自害した。享年47。
真田信繁(幸村)
大坂五人衆の筆頭格。関ヶ原の戦い後に九度山に配流されていたが、秀頼の招きに応じて大坂城に入城。冬の陣では城の弱点である南側に出城「真田丸」を築き、徳川方を大いに破った。夏の陣では家康本陣に突入し、死を覚悟させるほど追い詰めたが、49歳で戦死。「日本一の兵」と称えられた。
後藤又兵衛
大坂五人衆の一人。本名は後藤基次。もとは黒田官兵衛・長政に仕え、関ヶ原の戦い後に1万6千石を得たが、1606年に黒田家を出奔。大坂の陣では豊臣方の主力として奮戦。夏の陣の道明寺の戦いで、後続の到着を待たず先陣を切り、伊達政宗・松平忠明らの軍に敗れ討ち死にした。
毛利勝永
大坂五人衆の一人。関ヶ原の敗北後に土佐に配流されていたが、妻の後押しもあり豊臣方として大坂城に入城。夏の陣では本多忠朝隊を撃破し、小笠原秀政を討ち取るなど獅子奮迅の活躍を見せた。真田信繁とともに家康本陣に迫り、家康に自害を覚悟させた。秀頼の介錯を務めた後に自刃した。
長宗我部盛親
大坂五人衆の一人。長宗我部元親の四男。関ヶ原の戦いでの敗北により改易された後、旧臣約1000人を引き連れて大坂城に入城。夏の陣の八尾の戦いでは藤堂高虎隊を壊滅寸前まで追い込んだが、井伊直孝の援軍に押し戻された。大坂城落城後に捕縛され、斬首された。享年41。
関係性一覧
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- 大野治長 →譜代と牢人衆(方針対立も共闘) →真田信繁(幸村)大野治長 は 真田信繁(幸村) に対して「譜代と牢人衆(方針対立も共闘)」の関係です。
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