1199年の源頼朝の死後、鎌倉幕府では北条氏が有力御家人を次々と粛清し、権力を独占していく過程が展開されました。
13人の合議制の発足から、梶原景時の変(1200年)、比企能員の変(1203年)、畠山重忠の乱(1205年)、牧氏事件(1205年)、和田合戦(1213年)、源実朝暗殺(1219年)、承久の乱(1221年)と続く権力闘争の中で、北条義時は執権として幕府の実権を確立しました。
登場人物一覧
北条時政
鎌倉幕府初代執権。源頼朝の舅として幕府創設に貢献。比企能員を謀殺し権力を掌握したが、後妻の牧の方とともに3代将軍実朝を廃して平賀朝雅を将軍に擁立しようとした牧氏事件(1205年)により、子の政子・義時によって鎌倉を追放され伊豆に隠居させられた。
北条義時
鎌倉幕府第2代執権(在職1205年〜1224年)。北条時政の次男で北条政子の弟。18歳で源頼朝の挙兵に従い、比企氏討伐や和田合戦で勝利し、侍所・政所の両別当を兼務。承久の乱(1221年)では後鳥羽上皇の追討軍を撃破し、幕府の朝廷に対する優位を確立した。
北条政子
源頼朝の正室で「尼将軍」と称された。北条時政の長女で義時の姉。頼朝没後は出家して尼御台と呼ばれ、比企能員の変では時政に比企の陰謀を密告し、牧氏事件では父・時政を追放する決断を下した。承久の乱(1221年)では御家人を前に頼朝の恩義を説く演説で鎌倉武士を結集させ、幕府を勝利に導いた。
源頼家
鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝の嫡男で母は北条政子。1199年に家督を継承したが、独裁的な政治を抑制するため13人の合議制が敷かれた。外戚の比企氏と北条氏の対立の中、比企能員の変(1203年)で将軍職を廃され、伊豆修善寺に幽閉。翌1204年に北条氏の手の者により暗殺された。
源実朝
鎌倉幕府第3代将軍。源頼朝の次男で母は北条政子。兄・頼家の追放後、12歳で征夷大将軍に就任。和歌の名手として知られ、小倉百人一首にも選ばれている。武士として初めて右大臣に任ぜられたが、1219年に鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺され、源氏将軍の血筋は断絶した。
公暁
鎌倉幕府2代将軍・源頼家の子。鶴岡八幡宮寺別当。1219年、鶴岡八幡宮の石段で叔父の3代将軍・源実朝を「親の敵はかく討つぞ」と叫んで暗殺した。実朝を父・頼家の仇と信じての犯行とされ、事件直後に討ち取られた。
梶原景時
鎌倉幕府の有力御家人で13人の合議制の一人。源頼朝の腹心として仕えたが、頼朝の死後、御家人66名の連判状により弾劾され鎌倉を追放された(梶原景時の変、1200年)。京へ向かう途中、駿河国で在地武士との戦闘になり一族33人が討ち死にした。
比企能員
鎌倉幕府の有力御家人で13人の合議制の一人。娘を2代将軍・源頼家に嫁がせ、将軍家の外戚として権勢を強めた。1203年、頼家が病に倒れた際に北条時政追討を企てたが、北条政子が時政に密告。仏事を口実に時政邸へ呼び出され謀殺された(比企能員の変)。比企一族も北条義時率いる軍勢により滅亡。
畠山重忠
武蔵国の有力御家人で「鎌倉武士の鑑」と称された。1205年、北条時政の後妻・牧の方の讒言により謀反の疑いをかけられ、武蔵国二俣川で北条義時率いる大軍に攻められ討死した(畠山重忠の乱)。この冤罪事件が時政失脚(牧氏事件)のきっかけとなった。
和田義盛
鎌倉幕府の有力御家人で初代侍所別当。13人の合議制の一人。1213年、泉親衡の乱への連座で一族が処分されたことに反発し、北条義時に対して挙兵(和田合戦)。将軍御所を襲撃したが、三浦義村の裏切りもあり2日間の戦闘の末に敗死し、和田一族は滅亡した。
三浦義村
相模国の有力御家人で、北条義時の盟友(血縁上も従兄弟)。父・三浦義澄は13人の合議制の一人。和田合戦(1213年)では親族の和田義盛方から直前に裏切り、義時に義盛の挙兵を密告。娘を北条泰時に嫁がせて外戚となり、評定衆として北条氏に次ぐ地位を得た。
大江広元
鎌倉幕府の文官で初代政所別当。13人の合議制の一人。元は朝廷に仕える下級貴族で、鎌倉に下って源頼朝の側近となった。守護・地頭の設置を頼朝に献策したとされ、幕府の財政管理や訴訟制度の整備に貢献。北条政子や義時とともに幕政を主導した。
安達盛長
鎌倉幕府の有力御家人で安達氏の始祖。13人の合議制の一人。源頼朝が伊豆国で流刑の身であった時代から側近として仕え、頼朝の挙兵を支えた最古参の家臣。頼朝の死後、出家して蓮西と号し、13人の合議制のメンバーとして幕政に参画した。
関係性一覧
- 北条時政 →父→子 →北条義時北条時政 は 北条義時 に対して「父→子」の関係です。
- 北条時政 →父→長女 →北条政子北条時政 は 北条政子 に対して「父→長女」の関係です。
- 北条政子 →姉弟(協力して幕政を主導) →北条義時北条政子 は 北条義時 に対して「姉弟(協力して幕政を主導)」の関係です。
- 北条政子 →母→子 →源頼家北条政子 は 源頼家 に対して「母→子」の関係です。
- 北条政子 →母→子 →源実朝北条政子 は 源実朝 に対して「母→子」の関係です。
- 源頼家 →兄弟(頼家追放後に実朝が将軍に) →源実朝源頼家 は 源実朝 に対して「兄弟(頼家追放後に実朝が将軍に)」の関係です。
- 源頼家 →父→子 →公暁源頼家 は 公暁 に対して「父→子」の関係です。
- 公暁 →実朝を暗殺(1219年) →源実朝公暁 は 源実朝 に対して「実朝を暗殺(1219年)」の関係です。
- 比企能員 →外戚(娘を嫁がせた) →源頼家比企能員 は 源頼家 に対して「外戚(娘を嫁がせた)」の関係です。
- 北条時政 →謀殺(比企能員の変 1203年) →比企能員北条時政 は 比企能員 に対して「謀殺(比企能員の変 1203年)」の関係です。
- 比企能員 →時政追討を企図 →北条時政比企能員 は 北条時政 に対して「時政追討を企図」の関係です。
- 北条義時 →修善寺に幽閉→暗殺(1204年) →源頼家北条義時 は 源頼家 に対して「修善寺に幽閉→暗殺(1204年)」の関係です。
- 北条時政 →冤罪で討伐(畠山重忠の乱 1205年) →畠山重忠北条時政 は 畠山重忠 に対して「冤罪で討伐(畠山重忠の乱 1205年)」の関係です。
- 北条政子 →父を追放(牧氏事件 1205年) →北条時政北条政子 は 北条時政 に対して「父を追放(牧氏事件 1205年)」の関係です。
- 北条義時 →御家人66名が弾劾→追放(1200年) →梶原景時北条義時 は 梶原景時 に対して「御家人66名が弾劾→追放(1200年)」の関係です。
- 北条義時 →挑発→滅亡(和田合戦 1213年) →和田義盛北条義時 は 和田義盛 に対して「挑発→滅亡(和田合戦 1213年)」の関係です。
- 和田義盛 →挙兵 →北条義時和田義盛 は 北条義時 に対して「挙兵」の関係です。
- 三浦義村 →盟友(従兄弟) →北条義時三浦義村 は 北条義時 に対して「盟友(従兄弟)」の関係です。
- 三浦義村 →親族だが裏切り(和田合戦で密告) →和田義盛三浦義村 は 和田義盛 に対して「親族だが裏切り(和田合戦で密告)」の関係です。
- 大江広元 →協力して幕政を主導 →北条政子大江広元 は 北条政子 に対して「協力して幕政を主導」の関係です。
- 大江広元 →文官として補佐 →北条義時大江広元 は 北条義時 に対して「文官として補佐」の関係です。
- 安達盛長 →北条派の一員 →北条時政安達盛長 は 北条時政 に対して「北条派の一員」の関係です。
- 北条義時 →討伐軍を率いた →畠山重忠北条義時 は 畠山重忠 に対して「討伐軍を率いた」の関係です。
- 和田義盛 →将軍御所を襲撃 →源実朝和田義盛 は 源実朝 に対して「将軍御所を襲撃」の関係です。





