新選組のわかりやすい相関図

新選組(1863年〜1869年)は、幕末の京都において治安維持活動を行った武装組織です。

文久3年(1863年)、将軍警護のために募集された浪士組の一部が京都に残留し、京都守護職であった会津藩主松平容保の預かりとなって壬生浪士組が結成されました。八月十八日の政変での活躍により「新選組」の名を賜り、局長近藤勇と副長土方歳三のもと、池田屋事件などで尊攘派志士を取り締まりました。しかし内部では芹沢鴨の粛清、山南敬助の切腹、伊東甲子太郎の離反と油小路事件など、多くの血が流れました。戊辰戦争では旧幕府軍として戦い、近藤は斬首、土方は函館で戦死し、組織は解散しました。

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登場人物一覧

近藤勇

近藤勇

新選組局長。天然理心流四代目宗家。武蔵国多摩郡の農家に生まれ、試衛館道場を継いだ。文久3年に浪士組に応じて上洛し、壬生浪士組(のちの新選組)の局長に就任。池田屋事件などで尊攘派志士の取り締まりに活躍した。戊辰戦争では甲陽鎮撫隊を組織して戦ったが敗れ、流山で新政府軍に投降し、慶応4年(1868年)4月に斬首された。

土方歳三

土方歳三

新選組副長。武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市)の生まれ。実家秘伝の石田散薬の行商をしながら天然理心流を学び、近藤勇と出会う。新選組では「鬼の副長」と恐れられ、厳格な規律で組織を統率した。戊辰戦争では旧幕府軍として各地を転戦し、蝦夷島政府で軍事治安部門の責任者を務めたが、明治2年(1869年)5月、函館・五稜郭の戦いで戦死した。享年35。

沖田総司

沖田総司

新選組一番隊組長・副長助勤。陸奥国白河藩士の家に生まれ、9歳頃に試衛館に入門。19歳で免許皆伝となり師範代を務めた天才剣士。池田屋事件では近藤とともに最初に踏み込んだ。芹沢鴨暗殺にも加わったとされる。慶応3年以降は肺結核により第一線を退き、慶応4年(1868年)5月30日に病没した。

永倉新八

永倉新八

新選組二番隊組長・副長助勤・撃剣師範。松前藩士の子として江戸に生まれ、神道無念流を学んだ。脱藩後に試衛館で近藤らと出会う。池田屋事件では刀が折れるまで戦った。後に近藤の非行五ヶ条を会津藩主に上申するなど路線対立も見せた。戊辰戦争後は杉村義衛と改名し、『新選組顛末記』を著して新選組再評価の契機を作った。

斎藤一

斎藤一

新選組三番隊組長・副長助勤・撃剣師範。沖田総司、永倉新八と並び新選組最強の剣士の一人とされる。池田屋事件では土方隊に属して活躍した。隊内の粛清役も多く務め、武田観柳斎の暗殺にも関与したとされる。戊辰戦争後は藤田五郎と改名し、警視庁の警察官となり、西南戦争にも従軍した。

井上源三郎

井上源三郎

新選組六番隊組長・副長助勤。八王子千人同心の家に生まれ、天然理心流三代目・近藤周助に入門。近藤勇の兄弟子にあたる。「源さん」の愛称で慕われた誠実な人柄で、池田屋事件でも活躍した。慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いの淀千両松の戦闘で銃弾を受け戦死。享年40。

山南敬助

山南敬助

新選組総長。仙台出身で北辰一刀流免許皆伝の文武両道の人物。壬生の住人からも慕われた親切者で「新選組の良心」と評された。元治2年(1865年)2月、屯所の西本願寺移転問題や土方との対立などを背景に脱走を図るが、沖田総司に連れ戻され、切腹した。介錯は山南の希望により沖田が務めた。

原田左之助

原田左之助

新選組十番隊組長・副長助勤。伊予松山藩の中間の子に生まれ、脱藩後に種田流槍術を学び免許皆伝を得た。試衛館の食客となり近藤・土方らと盟友に。芹沢鴨暗殺、池田屋事件、禁門の変など主要な戦闘に参加。戊辰戦争後に近藤らと意見が対立し、永倉新八とともに靖兵隊を結成。上野戦争での負傷がもとで慶応4年(1868年)5月に死去したとされる。

藤堂平助

藤堂平助

新選組八番隊組長・副長助勤。伊勢津藩藤堂家のご落胤と称したが真偽は不明。北辰一刀流を学んだ後、試衛館の食客となった。「魁先生」と呼ばれた勇猛な剣士。もとは尊皇攘夷思想の持ち主で、慶応3年(1867年)3月に伊東甲子太郎とともに新選組を離脱し御陵衛士を結成。同年11月の油小路事件で新選組に襲撃され戦死した。

芹沢鴨

芹沢鴨

壬生浪士組(新選組)の初代筆頭局長。水戸藩の浪士で、神道無念流の剣客。壬生浪士組では近藤勇とともに局長を務めたが、乱暴狼藉や酒乱などの問題行動が会津藩の不興を買った。文久3年(1863年)9月、近藤派による粛清を受け、土方・沖田らの襲撃により壬生の八木邸にて暗殺された。

伊東甲子太郎

伊東甲子太郎

新選組参謀。北辰一刀流の達人。元治元年(1864年)に新選組に参加し参謀に就任したが、尊皇攘夷の志から慶応3年(1867年)3月に藤堂平助ら同志とともに新選組を離脱し、御陵衛士(高台寺党)を結成。高台寺・月真院を屯所とした。同年11月18日、近藤に招かれた帰途を新選組に襲撃され(油小路事件)、本光寺門前で暗殺された。

松平容保

松平容保

陸奥国会津藩第9代藩主・京都守護職。文久2年(1862年)に京都守護職に任じられ、約1,000名の兵を率いて入洛。壬生浪士組を「会津藩お預かり」として組織し、八月十八日の政変後に「新選組」の名を与えた。新選組の後ろ盾として活動を支えた人物。戊辰戦争では会津戦争を戦い敗北、謹慎処分を受けた。

関係性一覧

  • 近藤勇盟友・局長と副長土方歳三近藤勇 は 土方歳三 に対して「盟友・局長と副長」の関係です。
  • 近藤勇師弟(試衛館)沖田総司近藤勇 は 沖田総司 に対して「師弟(試衛館)」の関係です。
  • 近藤勇試衛館の同志永倉新八近藤勇 は 永倉新八 に対して「試衛館の同志」の関係です。
  • 近藤勇局長と総長山南敬助近藤勇 は 山南敬助 に対して「局長と総長」の関係です。
  • 土方歳三天然理心流の同門沖田総司土方歳三 は 沖田総司 に対して「天然理心流の同門」の関係です。
  • 土方歳三副長→三番隊組長斎藤一土方歳三 は 斎藤一 に対して「副長→三番隊組長」の関係です。
  • 土方歳三日野で共に稽古井上源三郎土方歳三 は 井上源三郎 に対して「日野で共に稽古」の関係です。
  • 土方歳三対立(路線の相違)山南敬助土方歳三 は 山南敬助 に対して「対立(路線の相違)」の関係です。
  • 沖田総司脱走を追跡・介錯を務める山南敬助沖田総司 は 山南敬助 に対して「脱走を追跡・介錯を務める」の関係です。
  • 井上源三郎兄弟子近藤勇井上源三郎 は 近藤勇 に対して「兄弟子」の関係です。
  • 永倉新八同志・共に靖兵隊を結成原田左之助永倉新八 は 原田左之助 に対して「同志・共に靖兵隊を結成」の関係です。
  • 永倉新八近藤の非行五ヶ条を上申松平容保永倉新八 は 松平容保 に対して「近藤の非行五ヶ条を上申」の関係です。
  • 松平容保京都守護職→新選組を預かる近藤勇松平容保 は 近藤勇 に対して「京都守護職→新選組を預かる」の関係です。
  • 近藤勇共同局長→粛清を命じる芹沢鴨近藤勇 は 芹沢鴨 に対して「共同局長→粛清を命じる」の関係です。
  • 土方歳三暗殺を実行芹沢鴨土方歳三 は 芹沢鴨 に対して「暗殺を実行」の関係です。
  • 沖田総司暗殺に加担芹沢鴨沖田総司 は 芹沢鴨 に対して「暗殺に加担」の関係です。
  • 近藤勇参謀に登用→対立・暗殺を指示伊東甲子太郎近藤勇 は 伊東甲子太郎 に対して「参謀に登用→対立・暗殺を指示」の関係です。
  • 伊東甲子太郎共に御陵衛士を結成藤堂平助伊東甲子太郎 は 藤堂平助 に対して「共に御陵衛士を結成」の関係です。
  • 土方歳三副長→十番隊組長原田左之助土方歳三 は 原田左之助 に対して「副長→十番隊組長」の関係です。
  • 斎藤一共に非行五ヶ条を上申永倉新八斎藤一 は 永倉新八 に対して「共に非行五ヶ条を上申」の関係です。
  • 松平容保乱暴狼藉に不興芹沢鴨松平容保 は 芹沢鴨 に対して「乱暴狼藉に不興」の関係です。

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